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呆れられた「箱根駅伝を中継しましょう」 TVマンも繋いだ襷、他局の温情で実現した日テレの箱根

1月2日と3日、今年で100回目となる箱根駅伝が行われる。全国のテレビの前で、家族そろって母校や地元出身選手を応援するのは、日本の正月の風物詩となった。大会の発展の側面にはメディアの力も大きい。ラジオ、テレビと箱根駅伝。その歴史を振り返る。全3回の第2回。(取材・文=荻島 弘一)

今年で100回目となる箱根駅伝とメディアの歴史を振り返る【写真:アフロ】
今年で100回目となる箱根駅伝とメディアの歴史を振り返る【写真:アフロ】

日本の正月の風物詩・箱根駅伝とメディアの歴史を振り返る「第2回」

 1月2日と3日、今年で100回目となる箱根駅伝が行われる。全国のテレビの前で、家族そろって母校や地元出身選手を応援するのは、日本の正月の風物詩となった。大会の発展の側面にはメディアの力も大きい。ラジオ、テレビと箱根駅伝。その歴史を振り返る。全3回の第2回。(取材・文=荻島 弘一)

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 日本テレビが箱根駅伝のテレビ中継を始めたのは、1987年(昭和62年)の第63回大会から。様々な困難を乗り越えて実現させたのは、チーフプロデューサーだった坂田信久氏だ。新入社員だった64年にニュース取材し、その魅力の虜になった。技術的なことも何もわからず「箱根駅伝を中継しましょう」と言って周囲から呆れられたという。

 当時の放送技術からすれば、それも当然だった。NHKがヘリコプターを使って世界で初めてフルマラソンの生中継に成功したのがこの年の10月に行われた東京五輪。200キロの駅伝中継、それも山間部を含む完全中継など夢のまた夢だった。

 その後も坂田氏は箱根駅伝のテレビ中継を模索し続けるが、技術的なハードルは高く「不可能」と言われ続けていた。さらに、関東のローカル大会で「全国性」がないことも問題だった。それでも、箱根駅伝中継実現への情熱が消えることはなかった。

 78年秋、坂田氏は関東学連とともに箱根駅伝を共催する読売新聞社事業部の湯浅武部長(後の巨人球団代表)から電話を受けた。「以前君が言っていた箱根駅伝を中継したいという話は生きているのか」という内容。当時、東京12チャンネル(現テレビ東京)との間で進んでいた契約が最終段階まできていたからだ。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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