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外せば「死ぬまで叩かれる」 李忠成の伝説ボレー弾、脳裏によぎる恐怖が消えた不思議な数秒間

アジアカップの1年後にイングランド移籍へ

 李には独特の運命論がある。

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「人の運命は決まっていると思うんです。舞台を用意されれば、必ず本物は生き残る。逆にもし活躍できないなら、オレの人生はそこまでだったんだな、ということ。だからこそ、みんなには感謝でした。決勝戦まで勝ち上がり、僕のために舞台を整えてくれてありがとう、と」

 アジアカップから1年後の2012年1月、李はイングランドのチャンピオンシップ(2部)で戦っていたサウサンプトンと契約する。現地の生活やレベルにも慣れ、順調にステップアップの手応えを感じ始めていた。

「毎日肌と肌でぶつかり合うことで、世界のトップレベルがどんなものなのかが分かった。献身的な守備はもちろん、オンだけではなくオフ・ザ・ボールの動きで、いかに相手に触れられずに受けるのか。身体の大きくない日本人選手がどこで勝負をしていけば良いのか。そういう整理がついて、これは行けるな、と実感していました」

 だが3月末、試合中に右足人差し指を踏まれて骨折。ブランクが1年間にも及ぶ、痛恨の運命と遭遇してしまった。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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李 忠成

サッカー元日本代表 
1985年12月19日生まれ、東京都出身。在日韓国人4世として生まれ、父の影響を受けて4歳でサッカーを始める。FC東京U-18から2004年にトップ昇格。翌年に柏へ完全移籍すると、3年目の07年2月に日本国籍を取得した。同年のJ1リーグで30試合10得点、U-22日本代表に選出され、翌08年に北京五輪に出場した。09年夏にサンフレッチェ広島へ完全移籍。10年のリーグ終盤戦で12試合11得点とゴールを量産すると、11年1月のアジアカップ日本代表に選出され、オーストラリアとの決勝で伝説のボレーシュートを決めて優勝に導いた。12年1月にサウサンプトンへ移籍。負傷の影響もあり13年限りで欧州挑戦に終止符を打つと、14年からは浦和レッズで5シーズンにわたってプレーし、17年のAFCチャンピオンズリーグなどのタイトル獲得に貢献した。横浜F・マリノス、京都サンガF.C.を経て22年からアルビレックス新潟シンガポールに在籍。今年9月14日に今季限りでの現役引退を発表した。
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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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