[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

勝つだけなら「いずれ忘れられる」 独自の技術論を提唱、風間八宏がセレッソ大阪で追求するもの

2023年の大阪ダービーでのセレッソのサポーター。2年遅れてJクラブとなったセレッソだったが、今では育成でもライバルを凌駕する存在に【写真:宇都宮徹壱】
2023年の大阪ダービーでのセレッソのサポーター。2年遅れてJクラブとなったセレッソだったが、今では育成でもライバルを凌駕する存在に【写真:宇都宮徹壱】

「タイトル? 自分にはまったく興味がなかったですね」

 1961年にサッカーどころの静岡・清水で生まれた風間は、31歳の時にサンフレッチェ広島でJリーグ開幕を迎えている。前身のマツダSCに加入したのは、開幕から4年前の1989年。筑波大学を卒業後、ドイツで5年間プレーしたのちの「逆輸入」であった。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

「ドイツにいる間、毎年のようにオファーをくれたのがマツダだったんです。何度断っても、それでも来てくれていたので『この人たちは本気なんだ』って思った。GMの今西(和夫)さんは、外国人ではなく日本人選手をリーダーとしたチームを作りたかったみたいです。それで帰国して、マツダとサンフレッチェ広島で3シーズンずつプレーしたんだけど、僕にしては長いほうだった。だいたい5年周期で動いているんでね」

 Jリーガーとしては、3シーズン103試合に出場して6ゴール。風間はJリーグでの「日本人初ゴール」を挙げたことでも知られている。1993年5月16日、広島スタジアムでのジェフユナイテッド市原戦。開始わずか1分、右足ボレーでネットを揺らした。現役時代は、味方に点を取らせる印象が強かった風間だが、この試合では「自分が決める」という強い決意で臨んだという。

「僕には息子と娘が2人ずついるんだけど、4番目の宏矢が生まれたのが、あの年の4月16日だったんですね。それまでの3人は出産に立ち会っていたんだけど、宏矢の時だけは遠征だったので立ち会えなかったんです。その代わり、というわけではないですが、生まれて1か月後の5月16日、Jリーグの開幕戦でゴールを決めてやるぞって。普段なら、そんなことを考えるタイプではないんだけど、あの時は決める気満々でしたね(笑)」

 広島を退団したのは1995年。その後、再びドイツに渡って1997年に現役を引退している。風間が川崎フロンターレの監督として、再びJリーグの舞台に戻ってくるのは2012年。現役引退から15年後のことである。その間、桐蔭横浜大学サッカー部監督(1997~2004年)、筑波大学蹴球部監督(2008~12年)、さらにはJFAやJリーグの理事、そして解説者も務めていた。ちなみにS級ライセンスを取得したのは2004年。

「S級を取ったのは、別に(Jクラブの)監督をやりたいと思ったからではなくて『解説者をやっているから、いちおう取っておくか』くらいの感じだったんですよね。僕の場合、何かを目指しているわけでなくて、面白いことを求め続けているという感じ。自分も選手だったから分かるけど、監督ほど面倒な仕事ってないですよ(笑)。桐蔭の監督を引き受けたのも、そこに知り合いがいて『サッカー部を作ってほしい』と頼まれたから。それだけの理由ですよ」

 風間が川崎で指揮を執ったのは、2012年から16年までの5シーズン。かつての「シルバーコレクター」が、2017年のJ1初優勝を皮切りに6つの主要タイトルを獲得できたのは、5年間にわたる風間のチームづくりのおかげ──。それが、多くの川崎のファン・サポーターが共有する認識であろう。しかし、風間自身は「チームづくりに時間がかかった」という考えには異を唱える。

「そうじゃなくて、選手が(適応するのに)時間がかかるんですよ。技術が足りてなかったから。もう1つ言うと、どんなチームでも(必要な)選手が集まらないと何も始まらない。それが集まったチームは、勝てるようになるんです。川崎については、(監督就任)3年目で『あと2年で辞めます』って言っていました。僕がいなくなっても、やっていけるのが見えていたから。タイトル? 自分にはまったく興味がなかったですね。それに、5年もやれば十分です(笑)」

1 2 3 4

宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集