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泣いて「強くしてほしい」と頼まれた 父が今も忘れない藤波朱理の目の色が変わった日

中3春の大会で高3相手に逆転勝利「これは凄いなと」

 過剰に期待することもなかったし、肩入れすることもなかった。

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「たくさん教えている子はいましたからね」

 朱理をはじめ多くの子供を指導するなかで、共通して大切にしていたことがあったと言う。

「強制はしないということです。やる時は自分で参加すること。こちらの役割はまずレスリングをする環境は設けるということ。自分でやりたくないのにやる必要はないし、無理やりさせてもいいことはないですよね。その子のやる気に合わせて教えるということです」

 レスリングを始めてから、娘の朱理はずっと無双であったわけではないと父は振り返る。

「小学生の頃は勝てていたけれど、中学生になると勝てなくなった。まあこんなもんかな、という感じでした」

 いわば、「そこそこやれる選手」。そう見ていたが、ある時、印象が一変する。

 それは2018年4月、朱理が中学3年生になってすぐの時に出場したジュニアクイーンズカップだった。勝ち進んだ朱理は準決勝で高校3年生の選手と対戦する。学年で3つの差は大きい。しかも相手の選手も全国大会で数々の好成績をあげてきた実力者だった。

 その難敵にリードを許した朱理は、だが逆転で勝利を収める。その後の決勝も勝利して優勝を飾ったが、この準決勝こそ、俊一の印象を変えるものだった。

「最後、攻めて逆転して、これは凄いなと思いました。そこまでは『普通やで』っていう感じだったかな。普通と言っても、目線の高いレベルのなかでの普通。全国のトップレベルくらいまでは行くだろうなとは思っていました。でも、あの準決勝を見て変わった。強い選手にタックルで攻めることができた。ポイントを取られても取り返して最後は勝った。しかも相手の選手のレベルも高い。これは世界でも行けるかな、と思った時でした」

 ある意味「ブレイクした」と言える瞬間を迎えたのは、そこまでの取り組みの変化にあったかもしれない。

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松原 孝臣

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。

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