[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

30年で「10→60」クラブに拡大 Jリーグが変えた日本スポーツ界と地方都市の風景

1993年には10クラブでスタートしたJリーグも、30年後には60クラブに。マスコットの数も格段に増えた【写真:宇都宮徹壱】
1993年には10クラブでスタートしたJリーグも、30年後には60クラブに。マスコットの数も格段に増えた【写真:宇都宮徹壱】

国内スポーツと日本人の価値観、地方都市の風景を変えたJリーグ

 1993年のJリーグ開幕は、単にアマチュアだった日本サッカーがプロ化された、という話にはとどまらない。確かに当初は、プロ化による国内リーグの活性化と入場者数の増加、そして日本代表の強化とワールドカップ初出場が目的だった。これらは開幕から5年の間に実現している。ならばその6倍、30年のタイムスパンで考えた場合はどうか。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 以前にも別の原稿で書いたのだが、重要なことなのであらためて記す。実のところJリーグは、広範囲にわたって、この国に影響を与え続けてきた。しかもその影響力は、サッカー以外の国内スポーツ、我々国民の価値観、さらには地方都市の風景をも変えてしまうほどであった。

 もしもJリーグが誕生しなかったら、プロ野球(特にパ・リーグ)が地域密着に舵を切り、驚異的な人気を回復する可能性は低かっただろう。Jリーグが爆発的な人気を博したからこそ、危機感を抱いた野球界ではマーケティングやファンサービスを見直す気運が高まったし、Jリーグの成功事例があったからこそ、バスケットボール界もプロ化してBリーグが開幕した。

 そしてJリーグはサッカーのみならず、スポーツを観戦する楽しさ、スポーツをすることによる健康増進、あるいはスポーツを通じたコミュニティづくりの促進にも、大きく寄与してきた。「モノやカネ」だけではない。「スポーツで生活を豊かにする」という、それまでの我が国に決定的に欠けていた価値観をもたらしたのが、Jリーグだったのである。

 これらに加えて注目したいのが、地方都市への影響である。

 東京、大阪、名古屋の3大都市圏、あるいは広島や福岡以外で、週末に1万人以上の観客が集まるスポーツイベントが定期的に開催されることなど、昭和の時代には考えられなかったことだ。鹿島、新潟、大分、そして松本。Jクラブができたことで、風景が一変したという事例は枚挙にいとまがない。

 Jリーグがこの30年で与えてきた影響について、これから「地方創生」という観点から取材を進めていくことにしたい。その土地にJクラブが誕生したことで、地域とそこに暮らす人々に、どんな変化をもたらしたのか? 実際にその土地を訪ね、当事者への取材を重ねながら、明らかにしていく──。

 あの煌びやかな開幕から30周年。節目の年を機に、Jリーグの知られざる価値を確かめる旅が、まもなく始まる。

<第1回「いわき・福島」編を3月に掲載予定>

(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)

1 2 3

宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
UNIVAS
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集