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日韓W杯から20年、鈴木隆行の今 スクール5校運営、「本物の指導者」へ下積みの日々

鈴木隆行氏も一緒にボールを蹴りながら子供たちに基礎技術を教えていく【写真:高橋学】
鈴木隆行氏も一緒にボールを蹴りながら子供たちに基礎技術を教えていく【写真:高橋学】

千葉時代に幼稚園児を指導して得られたもの

 なんでもいいから、力になりたい--。その思いから親交のあった柱谷哲二監督の携帯を鳴らした。「なんでもやります」と伝えると、その返答は「だったら選手としてプレーしてほしい」だった。

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 まったく想像していなかったという。

「もう半年ほど体を動かせていないし、選手を続ける気持ちもなくなっていましたから。もちろん経営が苦しいってことも頭にはありましたけど、この状態で給料をもらってしまったら申し訳ないと思ってアマチュア契約にしてもらったんです」

 6月3日に入団が発表され、1か月後には出場を果たした。初先発した愛媛FC戦(7月31日)で早速ゴールを挙げるなど、途中加入ながら20試合5ゴールの結果を残した。

 その後も水戸に腰を落ち着けて、計4シーズンにわたってプレーする。ただピッチ内だけに専念していたわけではない。水戸駅前で試合告知のビラを配ったこともある。元々ティンバーズで指導者になるプランを持っていただけに、そのための勉強も本格的に始めていた。

 これからのキャリアを考える時間にもなった。

 2015年にジェフユナイテッド千葉に移籍したタイミングで、幼稚園児を指導するスクールを立ち上げることになる。JFA(日本サッカー協会)の指導者ライセンスもA級まで取得したことで、引退後にやりたいことが見えつつあった。

 日本代表のワールドカップ戦士が、プロや学生に対してではなく、遊び感覚でボールを蹴る園児たちから指導実績をスタートさせるというチャレンジ。「最初は凄く苦労しましたよ」と鈴木は苦笑いを浮かべる。

「その園長先生に頼まれて、じゃあやってみようかくらいの感覚でした。空いた時間を使って指導させていただきました。でも今、振り返るとここ(幼稚園児)から始めて良かったなって心から思います。やっぱり1から10まで分かりやすく教えないと、動いてくれないんですよ。だからどうやったら分かりやすく説明できるか、興味を持ってもらえるか、メチャメチャ考えました。なかなか思うようにはいかなくて、指導者をやるのって難しいんだなと実感しました」

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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