ラグビー元日本代表主将が植え付けた“日本魂”「みんなで君が代を歌うことから―」
昨季限りで現役を引退した元日本代表主将の菊谷崇氏が、自身の現役生活を振り返ると共に、2019年日本でW杯を戦う、桜の戦士たちへエールを送った。インタビューの後編では、一度代表のユニホームを脱いだ男が再びジャパンに復帰するまで。そしてあの2015年大会で快進撃を繰り広げた日本代表に根付いていた“日本の誇り”についても語ってもらった。
主将を務めた11年W杯を最後に一度は代表を引退も、エディー・ジョーンズ氏に請われ復帰
昨季限りで現役を引退した元日本代表主将の菊谷崇氏が、自身の現役生活を振り返ると共に、2019年日本でW杯を戦う、桜の戦士たちへエールを送った。
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インタビューの後編では、一度代表のユニホームを脱いだ男が再びジャパンに復帰するまで。そしてあの2015年大会で快進撃を繰り広げた日本代表に根付いていた“日本の誇り”についても語ってもらった。
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2011年、ニュージーランドでのW杯ではキャプテンを務め、当時史上最強と言われた日本代表をけん引した菊谷崇氏。一度は代表引退を決断したが、そこから再び桜のジャージに身を包むことになった。その裏にはやはり“あの人”の存在があった。
「エディーさんから電話をもらって、もう一度体を作って、代表に戻れるかと聞かれました。『新しいチームで試したい。もう一度練習してから、こちらに来ないか。もう一度頑張ってみるか?』と。気持ち的には、一度代表引退を決意していたので、もう一度上げていくのは簡単ではなかった。その時は2012年でやめようと思っていたのですが、今よりは若かったので期待されることに対して、すごく嬉しく、喜びを感じて、スイッチをもう一度入れましたね」
再招集されたのは、2012年の6月。ニュージーランドでのW杯から半年以上が経過していた。菊谷氏は当時32歳。その経験値は、まだまだ現場にとっても必要なものだった。
「求められたものは一言でいうと経験。僕が合流してハードワークしているところをみんなが見る。若いリーダーたちをサポートする。キャプテンが広瀬俊朗、グラウンド(の主将)が五郎(丸)、僕がグラウンド外(の主将)。役割が明確だったのですごくやりやすかった」
エディージャパンではチーム全体、グラウンド内、そしてグラウンド外と細かくリーダーを立てた。これにより、チーム作りはスムーズに進み、またチームワークも強固なものになっていった。
「前体制の時はキャプテンで、チームを作り上げるのは自分たちだったんですけど、エディーさんの時は、荒木さんというメンタルコーチが入っていました。荒木さんは、最初はチーム全体をケアするというよりは、リーダー陣に対してのケアでした。僕と広瀬と五郎と、あとはリーチが(グラウンド内外の)つなぎ役のリーダーだったので、そこにしか荒木さんは関わってなかったんです」