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運命を変えた「ナイス」の一声 サッカー元日本代表FWが「無敵になれた」小2の1試合

酒井宏樹の運命を変えたコンバート

 そのきっかけを頼りに、豊田はサッカーを続けた。恵まれた体を生かすべく、中学の途中にはFWにコンバートされている。得点を取ることが仕事になったが、守備を決してさぼらない。体験的に味方を助けることを知っていたからで、その戦いを極めていった。

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 そしてJリーグでは、サガン鳥栖をJ1に昇格させる原動力となっている。エースとして君臨し、上位に引き上げ、チームのために自らを犠牲に捧げる「鳥栖らしさ」を確立したのだ。

 様々なきっかけを自分のものにできた者だけが、プロとして生き残っている。

「体はでかくて真面目で優しかった」

 柏レイソルの関係者が揃って言うのが、日本代表の右サイドバックとしてロシア・ワールドカップ(W杯)ではベストプレーヤーの1人だった酒井宏樹(現・浦和レッズ)だ。

 酒井は小学生の時はFWだったが、柏のアカデミーに入ってからサイドバックにコンバートされている。当時、工藤壮人(現・テゲバジャーロ宮崎)など多くの有力な選手が揃っていたこともあるだろうが、性格的にも実直だっただけに、ディフェンスが合っていたのかもしれない。高いレベルの選手と切磋琢磨し、プレーに向き合った。体格の良さに甘んじず、練習の虫だったという。

 当初、戦術的には未熟でミスも少なくなかったが、プレーを重ねることで改善させていった。特に屈強な相手とマッチアップした時、そのフィジカルをすべて生かすことができた。そして出し切った後、何かをつかんだ。

「トライ&エラーを繰り返せる選手だった」

 柏関係者はそう語っているが、性格的に失敗を糧にできたのだろう。ディフェンスの本質は、ミスにどう向き合うか。その修正を重ねられる忍耐力や生真面目さがキャリアのターニングポイントになるが、どれも彼にとってのきっかけになった。プロ入り4年目でドイツ、ハノーファー移籍を勝ち取れたのは、酒井が試合の中で自分の力をアップデートできる資質に恵まれていたからだ。

 きっかけはどこにでも転がっている。試合中、何気ないプレーかもしれない。それを肌で感じ、頭で考えられるか。漫然とプレーしている限り、積み上げることはできない。

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小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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