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丸刈り強制だった競輪学校の1年間 ケイリン脇本雄太が知る、真の「自主性」の意味

脇本雄太を変えた4年前の“移住指令”とは【写真:Getty Images】
脇本雄太を変えた4年前の“移住指令”とは【写真:Getty Images】

無念のリオ五輪後に名将から驚きの指令「今住んでいるところを捨てて…」

 こう聞くと、10代ですでに「自主性」を持っていたようにも思える。ただ、本人にしてみれば「まだ気付けていなかった」。08年3月に競輪学校を卒業。7月のデビューへ準備を進める中で、競輪学校時代の生活にはまだ甘さがあったと痛感した。

「競輪学校で送っていた生活は、選手生活の中でもごく一部の出来事だったんだと改めて思った。ダラっと過ごしてしまった日々ももちろんあったけど、その日々がいかに後になってこんなに響くのかというのを気付きましたね。

 競輪学校時代は週で集中する日を2~3日にしていたけど、卒業後にその気持ちで練習していたら『弱くなっているな』と思ったんです。意識改革して週5日間、気持ちや生活面で摂る食事などにも気を付けながらやることによって、ようやく自分の中で『強くなっているな』と感じた」

 意識改革に成功し、順調に実績を積み重ね、念願だったリオ五輪に出場した。しかし、結果は敗者復活戦で敗退。目標としていた舞台で、予選通過すらできなかった。無念の大会後、脇本を変える出会いがあった。同年10月、代表チームの短距離ヘッドコーチ(HC)にブノワ・ベトゥ氏が就任。この男が、本当の意味での「自主性」を身につけさせてくれた。

 ベトゥHCはフランスやロシアなどを世界トップレベルに引き上げ、“メダル請負人”と称される。リオ五輪では、指揮を執った中国の女子チームスプリントが世界記録を更新。見事金メダルに導いた。東京五輪を目指すにあたり、就任後の名将からは驚きの指令が出たのだという。

「まずは今住んでいるところのことを全て捨てて、伊豆に来い」

 静岡・伊豆市は代表チームの拠点。五輪本番の会場、伊豆ベロドロームで練習ができる。五輪出場に向けたメリットは大きいが、公営競技の競輪で出走できるレース本数が大幅に減ることとなり、収入面にも大きな影響が出るため、決断には勇気が必要だった。それでも、脇本は移住を決めた。

「『恵まれた環境に対して、自分の中で切り捨てるくらいの覚悟がないと強くなれない』と言われて、僕自身も東京五輪に全てをかけるつもりでいたので。それで今に至るのだけれど、自分の中で覚悟を決める『自主性』がなければ、強くなれる要素はないと思う」

 当時27歳。覚悟を決めた脇本は結果を残す。17年12月のW杯チリ大会で日本勢14年ぶりの優勝を果たすと、18年10月のパリ大会でW杯2勝目。今年2月にドイツで行われた世界選手権でも、銀メダルを獲得した。

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