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「理不尽に耐える」だけでは社会で通用しない 早稲田前監督が見た大学部活生の変化

現役引退時に語った「Jリーグのチェアマンになりたい」という言葉

 ワールドカップの日本代表も、2018年のロシア大会では3人しかいなかった大学経由の選手が、22年のカタール大会では登録枠が広がった影響もあり9人に増えた。

「例えば大学時代の三笘薫選手は、プロになってからよりも(相手に)抑えられていました。各校ともに三笘対策を練り、前後を塞いでしまったりもしていたので、それで消えてしまうことも少なくなかった。でもそういう状況の中で、三笘選手も自分への対策を考えて、その上を行こうと模索し努力した。大学は試合数もあるので、サッカーの探求が十分にできる。むしろこの環境を上手く使えていけるかが、日本サッカー界の課題だと思います」

 33歳で現役を退く時に「Jリーグのチェアマンになりたい」と発言した。

「それはどんな仕事をする時も、いつも頭に入れていました。現チェアマンの野々さん(野々村芳和)とは昔から親しくさせて頂いていて、今は野々さんにできて僕にはできないものが当然あるわけですが、これからは野々さんにできていなくて僕ならできることをどう積み上げていけるか、だと思います。そのためには、きちんと課題を見つけられる力を養う必要がある。(現職の)スカパーの中でも外でも、そういう人間になっていかなければいけないと考えています」

 後先を考えずに、48年間の人生を突っ走ってきた。これからもその姿勢を貫き、「もう無理だよ」というところまで疾走し続ける気概を漲らせる。

「振り返れば、早大監督に就く時と同じように『こんなんじゃダメですよ』と主張してきたことが、自分の立ち位置を作ってきました。だからまた『じゃあ、おまえやれよ』という自作自演の再現をぜひ。そう思っています」

 閉鎖性の強い「サッカー村」という村社会の掟を軽々と覆し、新風を吹き込んだ自称“天邪鬼”は、近い将来、もっと大きな旋風を巻き起こしてくれるのかもしれない。(文中敬称略)

【第1回】プロ内定9人は早稲田史上初 元Jリーガーが貫いた「監督らしくない監督になる」信念

【第2回】監督室のドアは「いつも全開」 慶応との差に危機感、早稲田率いた元Jリーガーの改革

【第3回】監督が「一番挨拶していない」 早大率いた元Jリーガー外池大亮、最も驚いた選手の一言

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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外池 大亮

早稲田大学ア式蹴球部・前監督 
1975年1月29日生まれ。神奈川県横浜市出身。早稲田大を経て97年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に加入。2000年に横浜F・マリノスに移籍すると、その後は大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府、サンフレッチェ広島、モンテディオ山形を渡り歩き、06年に湘南へ復帰。J1通算82試合16得点、J2通算101試合13得点の成績を残し、07年シーズン限りでスパイクを脱いだ。現役引退後は広告代理店の電通を経て、現職でもあるスカパー!に入社。18年から22年まで、早稲田大学ア式蹴球部の監督を務めた。

加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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