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監督が「一番挨拶していない」 早大率いた元Jリーガー外池大亮、最も驚いた選手の一言

たとえサブでも「プロとして居場所を見つけた」

 山田の一言は、チームのムードを一変させる。それから山田の試合前の演説は関東大学リーグ全体に知れ渡り、大勢の他校の選手たちが見物に来るようになる。

「4年時の山田は正GKとして試合にも出続け、チームも安定したシーズンを送りました」

 結局山田はザスパクサツ群馬からオファーを受け、現在はJリーグでも試合に向かうスタメン組への全身全霊の声かけが名物として定着している。

「山田の声かけは凄く緻密で、かけられた側が『どうしてそんなことが分かるの!』と驚くほど的確で心地良い激励をしている。彼はサブでも、まさにプロフェッショナルとして居場所を見つけた。アイツこそ早稲田らしさの象徴かもしれません」

 外池は早大を巣立っていく選手たちに必ず伝えてきた。

「ここで学んだことは必ず活きる。でも社会人になって3年間は苦しむよ。主体性を売りにしても『自分の好きなことばかり言いやがって』という反発は当然ある。でも5~7年後には、主体的に何かを見つけ出す力が、絶対に必要とされる。だから、そこは諦めないでやっていこう」

 毎年卒業生の背中を見て「みんな、逞しくなったな」と実感してきた。

「主体的に考えて発信力を持つ大人を多数輩出できたと思います」

 だから外池には「らしくない」監督を実践してきた5年間に、微塵も悔いがない。(文中敬称略)

【第1回】プロ内定9人は早稲田史上初 元Jリーガーが貫いた「監督らしくない監督になる」信念

【第2回】監督室のドアは「いつも全開」 慶応との差に危機感、早稲田率いた元Jリーガーの改革

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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外池 大亮

早稲田大学ア式蹴球部・前監督 
1975年1月29日生まれ。神奈川県横浜市出身。早稲田大を経て97年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に加入。2000年に横浜F・マリノスに移籍すると、その後は大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府、サンフレッチェ広島、モンテディオ山形を渡り歩き、06年に湘南へ復帰。J1通算82試合16得点、J2通算101試合13得点の成績を残し、07年シーズン限りでスパイクを脱いだ。現役引退後は広告代理店の電通を経て、現職でもあるスカパー!に入社。18年から22年まで、早稲田大学ア式蹴球部の監督を務めた。

加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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