福士加代子から「学ばせてもらった」 五輪で4度“共闘”の恩師、感謝とともに抱く悔い
選手1人ひとりの才能を見抜き、個を伸ばしていく陸上指導者の、独自の育成理論やトレーニング法に迫るインタビュー連載。昨年の東京五輪女子マラソンで8位入賞を果たした一山麻緒を指導する、資生堂ランニングクラブの永山忠幸コーチに話を聞いた。今回は2000年のワコール監督就任とともに始まった福士加代子との師弟関係や、五輪に4大会連続出場したアスリートとしての凄さについて、指導者目線で語っている。(取材・文=佐藤 俊)
連載「陸上指導者の哲学」、資生堂ランニングクラブ・永山忠幸コーチインタビュー第2回
選手1人ひとりの才能を見抜き、個を伸ばしていく陸上指導者の、独自の育成理論やトレーニング法に迫るインタビュー連載。昨年の東京五輪女子マラソンで8位入賞を果たした一山麻緒を指導する、資生堂ランニングクラブの永山忠幸コーチに話を聞いた。今回は2000年のワコール監督就任とともに始まった福士加代子との師弟関係や、五輪に4大会連続出場したアスリートとしての凄さについて、指導者目線で語っている。(取材・文=佐藤 俊)
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2000年、永山忠幸氏はサラリーマン生活に終止符を打ち、ワコールの監督に就任した。同年、その後4大会連続で五輪に出場するなど日本の女子中長距離界を引っ張ることになる福士加代子が入社する。青森出身の福士は、どのようにスカウティングされたのだろうか。
「私は、福士くんをスカウティングする際、実際の走りを見ていないんです。うちのスカウトから福士くんが高3の春の合宿の時、3000メートルで8分台を出した選手に食らい付いていく走りを見せたと報告を受けました。走り方は猫背で独特だったんですが、この子は見てきたなかで3本の指に入るということでスカウトが大変気に入って、それならばと獲得に動いたんです。数社が競合するなか、何度も足を運んで最終的にワコールと小出義雄監督が指導する積水化学が残りました。
決め手は当時、福士くんがマラソンが嫌いだったということでした。あと、お笑いと明石家さんまさんが好きで、友人がワコールに行けば下着をプレゼントしてもらえるよと推してくれたようです(笑)」
スカウトの眼に狂いはなく、福士は02年に3000メートルで8分44秒40の記録をマーク。それは20年に田中希実(豊田自動織機)に破られるまでの日本記録だった。5000メートルも02年に日本記録を更新し、05年に14分53秒22をマーク、それも21年に廣中璃梨佳(日本郵政グループ)に破られるまでの日本記録だった。
アテネ五輪では1万メートルの代表選手になり、北京五輪では5000メートルと1万メートルに出場するなどトラックでは無類の強さを発揮した。