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Jリーグ監督として味わった“苦い経験” キャリア10年、名将の言葉に見た成長のヒント

Jリーグ監督時代は「自分の幅、ゆとりがなかった」

――トップの監督からU-23、そしてユースを率いることに関しては?

「自分の場合、サッカーの指導はどこでも変わらない。その瞬間を大切なものにするしかなくて。修行じゃないけど、懸命にやっていたら自然と次につながる。今までもそれはずっとそうで、ジュビロで監督になった時も目指してなったわけではなくて。トップも育成も、自分の場合、垣根はない。『今さらユース?』と言われても、その意味も分からなかった(苦笑)。

 今はここで出会った子供たちが、少しでも幸せを感じられるように。大好きなガンバというクラブで、大事な指導を任せてもらっている感謝しかない。明日をも知れぬ世界ですから、収まるべきところに収まると思っています」

――トップを率いていた時代、成績が出ずに厳しい批判を浴びたこともありましたが、振り返っていかがですか?

「自分の幅、ゆとりがなかったなと。でも、それは今でもそうで、今の自分の幅ではトップトップで通用しない。自分のやっていることにまだ焦りがあるというか。選手に対しての要求はいいけど、焦らせるものではない。育成をやらせてもらったからこそ、そこを考えるようになりました。自分が一番成長させてもらっている、というのが正直なところです」

――一方、多くのクラブが森下さんに魅力を感じてきたからこそ、采配を任せたはずで、何より選手たちの信望が際立って厚い。指導者としての強みとは?

「世間的には、自分は結果が出ていない監督になるんだろうし、自分の強みはあまり考えたことがないです。でも敢えて言えば、スタートした時から変わっていないこと。あいつ変わったやん、はない。選手に100%を注がないといけないし、そのスタンスがあるからまだやらせてもらっていて。指導者は選手に時間をいただいているわけで、彼らがいないと成立しない。だから、選手に選ばれる指導者にならなければいけなくて。自分は自分のままでいいけど、アップデートして幅を作れるか。さらに結果を出すには、(指導者の)幅、器だと思います」

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森下仁志


1972年生まれ、和歌山県出身。現役時代は帝京高、順天堂大を経て95年にガンバ大阪に加入。コンサドーレ札幌、ジュビロ磐田と渡り歩き、J1通算202試合9得点、J2通算37試合1得点の成績を残した。2005年の現役引退後は指導者の道へ進み、12年に磐田監督に就任。京都サンガF.C.、サガン鳥栖、ザスパクサツ群馬の監督を経て、19年に古巣G大阪U-23監督となり、昨年からユースを率いている。中村敬斗(現LASKリンツ)や食野亮太郎(現エストリル・プライア)らの才能を引き出すなど、若手の指導に定評がある。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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