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プロ野球に行くため選んだ東大「普通じゃないのは分かりつつ…」 酒井捷が自ら「道を踏み外した」裏側

酒井の4年間は東大球場とともにあった【写真:羽鳥慶太】
酒井の4年間は東大球場とともにあった【写真:羽鳥慶太】

2年秋に日本代表候補…怪我の時間まで生かした逆転の発想

 小学校2年で野球を始めた。中学2年だった2017年、東大がエース宮台康平投手(のち日本ハム、ヤクルト)を中心に、法大に連勝して実に15年ぶりの勝ち点を挙げた。さらにドラフト指名を受け、プロ野球へ進んだニュースを見たのが、東大野球部を知るきっかけとなった。

 経済学部経営学科で学ぶ一方「とにかく野球のために過ごそう」と思っての4年間。「フルリソースを使って練習してきたとは思っています」と振り返る。1、2年次は球場と離れた駒場キャンパスで授業がある。すき間時間の朝早くウエートトレーニングをしたり、とにかく時間が空けば東大球場に来ていた。

 1年秋にはリーグ戦初出場を果たし、2年秋には、打率.316を残しリーグのベストナインに。12月に愛媛県松山市で行われた大学日本代表の候補合宿にも召集された。呼ばれた2年生野手は、今回のドラフトで1位競合が確実な立石正広内野手(創価大)ら4人だけだった。

 1学年上の西川史礁外野手(ロッテ)や佐々木泰内野手(広島)を見て「ドラ一のレベルが分かった」のが収穫だった。後半の2年間でさらに成績を伸ばしたいところだったが、膝の負傷で3年春は全休。ただ逆転の発想で、単位を取るにはここしかないと踏み、3、4年で取らなければならない80単位のうち46単位を半期で取り切った。「怪我をしてからはずっと落ち込んで、鬱っぽかったんですが切り替えられました」。物事を前に進める計画性は、学生選手として磨いてきた資質だ。

 東大からは過去6人がプロ野球に進んでいるが、全員が入団時は投手だった。酒井がドラフトにかかれば、野手としては初となる。「育成の最後でもいい」と順位にこだわりはないが、社会人野球や独立リーグに進むことは現状、考えていない。指名がなければ留年して、就職活動を本気でやり直すという覚悟がある。

「野球の中で、いい投手と対戦することが一番好きなんです。プロ野球に行ったらどんなものが見られて、自分がどう成長できるかというのが一つ。あとは選手が終わった後、野球界に貢献するという道につながっていくのもプロ野球だと思っています。前例はありませんし、普通じゃないことは分かりつつやってきました。アホだとは思いますよ。普通に働いたほうが収入もいいと思います。でも……」

 経営学科の友人は、いわゆる“いい”就職先に続々内定した。それでも酒井はどうしても、野球への思いを消し切れない。「やり切るだけです」。ドラフト会議後の週末には、法大とのリーグ最終カードも待つ。野球のために選んだ進路で、自分にできることは尽くした。更に進化する場を与えられるのを信じて、その時を待つ。

(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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