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故郷で牧場経営、涙のPKから復活劇… オシム氏退任から揺れた10年南アW杯日本代表の今

カタール・ワールドカップ(W杯)で7大会連続7回目のW杯出場となるサッカー日本代表。2010年南アフリカ大会本番を迎えるまでにはイビチャ・オシム前監督の急病による退任、岡田武史監督の再登板、直前のシステム&スタメン変更など様々な出来事があった。「谷間の世代」と揶揄されたメンバーが中心となった23人だったが、顔ぶれは多士済々。故郷で牧場経営する闘将、涙のPK失敗からの復活などドラマチックな人生を送る選手や、メンバー外ながらも大きな期待を抱かせる選手もいた。

2010年南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦パラグアイ戦の日本代表先発イレブン【写真:Getty Images】
2010年南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦パラグアイ戦の日本代表先発イレブン【写真:Getty Images】

【大会別日本代表の今】日本史上初となる海外W杯で決勝トーナメント進出

 カタール・ワールドカップ(W杯)で7大会連続7回目のW杯出場となるサッカー日本代表。2010年南アフリカ大会本番を迎えるまでにはイビチャ・オシム前監督の急病による退任、岡田武史監督の再登板、直前のシステム&スタメン変更など様々な出来事があった。「谷間の世代」と揶揄されたメンバーが中心となった23人だったが、顔ぶれは多士済々。故郷で牧場経営する闘将、涙のPK失敗からの復活などドラマチックな人生を送る選手や、メンバー外ながらも大きな期待を抱かせる選手もいた。

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 MF本田圭佑の1トップ起用、MF長谷部誠のゲーム主将緊急就任、MF中村俊輔のサブ降格など大会直前に劇的なチームの役割変更が見られた岡田ジャパン。それでも不動だったのが“ボンバーヘッド”DF中澤佑二とDF田中マルクス闘莉王のセンターバックコンビだった。2人は結果的に今大会が最後のW杯だったが、ともに4試合フル出場で日本サッカー史上初の海外W杯決勝トーナメント(T)進出を支えた。

 1998年フランス大会の呂比須ワグナー、2002、2006年大会の三都主アレサンドロに続き、4大会連続でブラジルからの帰化選手としてW杯を戦った闘莉王は2019年終了後に現役引退。現在は故郷のブラジル・サンパウロ州、パルメイラ・ド・オエシチに戻って牧場を経営し、乗馬を通じて障害のある子供たちに対して「乗馬療育」という社会貢献も行っている。YouTube公式チャンネル「闘莉王TV」では日本代表と日本サッカー界に舌鋒鋭いメッセージを繰り続けている。

 0-0のまま突入した決勝T1回戦のパラグアイ戦のPK戦で、3人目のキッカーとして失敗してしまったDF駒野友一。大会直前に右サイドバックのレギュラーとなり、4試合にフル出場した貢献度に見合わない非情な結末となった。その後はジュビロ磐田からFC東京、アビスパ福岡、FC今治と渡り活躍。代表でも2014年まで選出され、2013年東アジアカップは主将として優勝タイトルを獲得した。2022年シーズン終了後の11月10日、FC今治を通じ、現役引退が発表されている。

 今大会は日本から約1万4000キロ離れたアフリカ大陸最南端での開催。不測の事態が起こった際のメンバー入れ替えと代表チームの練習要員確保のため、チームはMF香川真司、FW永井謙佑、DF酒井高徳、DF山村和也の4人をサポートメンバーとして帯同した。中でも、香川は練習で絶好調を維持。正規メンバー漏れを惜しむ声も少なくなかった。

 なお、2008年11月に脳梗塞で倒れ、代表監督を退任したオシム氏は回復後も自宅があるオーストリアから日本サッカーに対して愛ある提言を行ってきたが、2022年5月1日、自身が監督を務めたシュトルム・グラーツから死去したことが発表された。80歳だった。

(THE ANSWER編集部)



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