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バド桃田賢斗、交通事故に「なんで自分なんだ」と葛藤 代表引退決断の裏側「事故のせいにしたくなかった」【会見全文】

出場停止明けに変化「勝つことだけが全てじゃない」

――中学、高校を過ごした被災地の福島への思いは。


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「中学から寮生として過ごしてたくさんのことがありましたし、あれから10年以上が経って少しずつ震災が世間の人たちから薄れていく中で、富岡高校の卒業生が活躍することで復興に向けて少しだけ貢献できたのかなとは思います。直接、地域の方、子どもたちと触れ合うことができなかったので、そういう機会で今後自分なりに取り組みたい。

 バドミントンを通じたイベントもしたい気持ちは凄くあるけど、僕一人ではどうにもならないので、これからもたくさんの人たちに協力してもらいながら、もっともっと上手くなりたいと思ってもらえるような活動をしたい」

――一番印象に残っている試合は18年ジャパンオープン。17年以降は勝つ以外にバドミントンを通して表現したいと思っているように見えた。

「2017年の復帰以降は勝つことだけが全てじゃないというのと、コート中での振る舞いだったり、コートを出てからの行動だったり、勝つだけじゃなく応援されるような、周りから愛されるような選手になりたいと思っていた中で、達成できたかどうかはわからないけど、今では本当にたくさんの方に応援していただけて、僕の日本代表としての約10年間は本当に誇らしいものだったんじゃないかなと思います」

――イメージと動きが合わない苦しさがあったと。葛藤していた期間はどういう気持ちで悩んだり、考えたり、どう過ごしていたか。

「僕一人の考えとして代表引退しようというのは簡単だったと思うけど、今まで支えてくれた人たちへの感謝の気持ちは僕自身ずっとバドミントンしかしてこなかったので、コートの中でしか表現できない思いがあったので、そういう人たちの前で簡単に諦めたくないなという気持ちもたくさんあった。いろんな葛藤があったけど、正直やるからには世界一を目指したいなとずっと思っていた。

 正直、今の自分では厳しいかなと思った時に、次は支えてくれた人たち、応援してくれた人たち、自分に憧れてバドミントンを始めてくれた人たちに恩返しできるようにしたいと思ったので、日本代表引退を決断しました」

――見ている側も「20年の交通事故がなかったら」と思う。本人はどう捉えているのか。

「当初はなんで自分なんだろうと。思っていないといえば嘘になる。正直、しんどいことだらけ、辛いことだらけだった。辛いことを事故のせいにしたくなかった。それすら弾き返したかった。その気持ちだけです。あとは周りの人たちの心強いサポートのおかげでちょっとだけ踏ん張ることができたと思います」

――五輪はどんな舞台か。そこを目指せなくなる寂しさは。

「バドミントンを始めてから五輪は憧れの舞台でした。出場できたのは凄く嬉しかったし、その五輪で結果を出せなかったのは凄く悔しい気持ちでいっぱいですけど、日本代表を引退しても五輪を目指さなくなるということに関しては、今は後悔はないです」

――日本代表としてもがきながら戦ってきた。その中で中、高を過ごした福島の存在は。

「本当に僕が苦しい時に福島県の方々からのメッセージは凄く心強かった。どこかで気分転換したいと思った時は後輩たちのチームに行って一緒に練習することで、僕自身気持ちを新たに頑張ることができた。福島の方々に感謝していますし、これからは僕がもらった分、少しずつ恩返ししていけたら」

――今後の福島との関わりでイメージしていることは。

「具体的には何も決まっていませんが、地域貢献活動として3月に福島で講習会という形で参加して僕も楽しかったし、また福島でバドミントンの楽しさを伝えられたらと思います」

――海外選手に引退にことを伝えたか。

「海外の選手には伝えていないです」

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