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「イップス」に悩んだ球児を変えた成功体験 内気な少年がボルトに学ぶようになるまで

和田賢一は運動が大好きな少年で、父と祖母の影響で野球を選択しプロを夢見た。

和田賢一は「イップス」に苦しんでいたが、受験勉強をきっかけに前向きになっていった【写真:小林靖】
和田賢一は「イップス」に苦しんでいたが、受験勉強をきっかけに前向きになっていった【写真:小林靖】

【ビーチフラッグス・和田賢一が追求する“走りの技術論”|第5回】プロ野球を夢見た少年を突如襲ったコーチの言葉

 和田賢一は運動が大好きな少年で、父と祖母の影響で野球を選択しプロを夢見た。

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 小学生時代は心の底から楽しんでいた。ところが6年生になり、中学のクラブチームを指導するコーチがやって来た日から、一気に暗転してしまう。

「これが中学生の打球だ!」

 そう言ってコーチはノックを始めた。和田は必死に飛びつきファーストへ送球する。9回続けて成功した。ところが10球目に暴投すると、それまで9度の成功を帳消しにするかのように、コーチは最後の失敗を徹底的に詰った(なじった)。

「失敗したらどうしよう…」

 和田の心に恐怖観念が棲みついた。気が付けば、コーチが視野に入るとボールを投げられなくなっていた。「イップス」と呼ばれ、精神的な要因で突然思い通りの動きができなくなる症状だった。

 中学では捕手になるが、投手への返球ができない。もともと強肩の和田は、セカンドへは見違えるように鋭いボールを投げることができた。盗塁阻止率100%の捕手は存在しない。ミスが許容される状況だったからだ。

 難しいことはできる。ところが誰も失敗しない簡単なことが、どうしてもできない。

「罪悪感、情けなさ、恥ずかしさ……、そんな感情が押し寄せて来て、もう高校3年生の頃は、ひたすら『早く(部活が)終わってくれ』と思っていました。でも本音は、大好きなことを辞める勇気がなかったんでしょうね。まだ心のどこかに、プロの夢を引きずっていたんだと思います」

 中学入学前からずっと底知れない挫折感に苛まれてきた。だが高校3年の夏から集中的に取り組んだ受験勉強を機に、少しずつ前向きな考え方ができるようになっていく。

「僕は日大付属鶴ケ丘高校の出身なので日大文理学部に進むのも簡単だと思われがちですが、実は文理学部体育学科は人気が集中するので極端に競争率が高い。全国系列校の希望者が約500人いるのに、日大統一テストの上位17人しか入れないんです」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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