スター選手も逃れられない恐怖「次は自分かも…」 陽岱鋼が「一番つらかった」秋の光景、残された者の“使命”

教育リーグから送り返される選手を見て感じた…恐怖と使命感
プロ野球選手という職業は、求められなければ続けられない。毎年ルーキーが華々しく入団してくる裏で、何人もの選手がユニホームを脱いでいく。陽がこの世界の厳しさを知ったのもまた、秋の宮崎だった。フェニックス・リーグでは途中で千葉県鎌ケ谷市の寮に呼び戻される選手が出る。ほとんどは戦力外通告のためだ。
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「フェニックスの時が一番つらかった。試合もそうですが、チームから離れていく選手を何年も見て。その人たちのためにできることは、自分が野球界に残り続けることだと思ったんです」
ドラフト1位で入団したとはいえ、毎年恐怖と背中合わせだった。「来年は誰がいなくなるとか考えたこともあるし、それが自分になる可能性もあった」。仲間の姿が消えていくたびに、思いは強くなった。「やめていった先輩も後輩も、可愛がってくれた人たちが『まだダイさんやっているんだ』と思ってくれればいい。そのためにもやってやるという気持ちが、力になったんです」。
だから、世界のどこに行っても「ヨウ・ダイカン」であり続けた。これは「陽岱鋼」の日本語読みだ。もちろん故郷・台湾では「ヤン・ダイカン」になり、球場でもそうアナウンスされる。ただ陽は米国に行っても、豪州に行っても「ヨウ・ダイカン」として登録され、背中のネームも「YOH」だった。
「プロ野球選手の自分は『ヨウ・ダイカン』しかいません。アメリカにもオーストラリアにも、日本のファンがたくさん来てくれたんですよ。こんなところまで来てくれるのかって、本当にうれしかったんです。まだ見てくれているって」
今年も28日から、12球団の戦力外通告が可能になる。「自分かも」という恐怖に打ち勝つには、己の技術を磨くしかない世界。21年もの長い現役生活を送った陽は、仲間を一人、また一人と見送るたびに強くなっていったのだ。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)
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