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「才能がない」と悟った北嶋秀朗の決断 超高校級FWに衝撃受けた市立船橋での分岐点

才能がないからこそ「自分が生きていく術を考え抜く」

 プロという将来を見据えて、ずっとトライを続けてきた。ポジションも、ストライカーは行き着いた結果だ。

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「中学の時はトップ下だったし、市船も選手権デビュー戦は左サイドハーフでした。次の試合からFWで点を取ったんです。2年生になった時、『トップ下とFW、どっちがいい?』って布(啓一郎)監督に訊かれて。その時までトップ下が多かったんですけど、『FW』って答えました。中盤はいいプレーが曖昧で、あまり気持ち良くなくて。FWは“点取ったらナイス、取らなかったらダメ”ではっきりしていて、単純なのがすっきりして良かったんです」

 北嶋はその都度、自分と向き合ってきた。流されることだけはなかった。そこに成功の秘訣があるのかもしれない。

「2年生の時も、自分からプレースタイルを変えていて。それまでは抜け出しだけでどうにか通用していたけど、“このままじゃ、プロは無理”って考えました。それで、ポストプレーをめっちゃ練習して。プレースタイルを変える怖さ? それはなかったです。失敗したこともあるんですが、トライし続けてきたからこそ、プロでもやれたはずで……」

 北嶋は言う。己の弱さと対峙することができた。彼の結論はプロを目指すサッカー選手への希望だ。

「自分の才能がないんだから、他人のせいにできなかったんです。そう考えると、才能がない子のほうがチャンスかもしれません。考えて、考えて、自分が生きていく術を考え抜く。そこで出た答えで失敗することはあっても、どうにか正解にする。そうやって、ずっとプレーをアップデートし続けられることができたら……」

 自分と向き合い続けられることが、北嶋の才能だった。(文中敬称略)

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(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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