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「サッカー不毛の地」新潟を変えた日韓W杯 転勤族の1人が奔走、勝手連とアルビの物語

20年後の現在も続く自由参加型のフットサル「もくはちクラブ」、W杯が遺したレガシーの一つだ【写真:宇都宮徹壱】
20年後の現在も続く自由参加型のフットサル「もくはちクラブ」、W杯が遺したレガシーの一つだ【写真:宇都宮徹壱】

それは転勤族の働きかけから始まった

「私は県庁の土木部でずっと働いておりまして、1994年から98年までは今のビッグスワンがある鳥屋野潟公園の整備に携わっていたんです。今の多目的広場の近くでは、アルビレックスが練習していたのを勤務中に見ていましたね。造成される前、あの辺りは田んぼでした。地図にない沼地だったんですよ」

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 そんななか、関西からサッカー好きのビジネスマンが新潟に赴任する。現在58歳の小島裕範は、メキシコやイタリアでのW杯を現地観戦しており、自身もプレーヤーであった。県外から来た彼にとり、新潟県民のW杯に対する熱量の低さは、かねてより気になっていたという。そして、ふいに転機が訪れる。

「当時、新潟では数少ないS級ライセンス保持者の方から、飲みの席で言われたんです。『小島さん、新潟のために一肌脱いでよ』って。これは『新潟のワールドカップを盛り上げてくれ』ってことだと理解しました(笑)」

 インターネットは普及し始めてはいたものの、まだスマートフォンもSNSもなかった時代。持ち前の行動力とコミュニケーション能力で、小島は新潟市内に点在していたサッカー好きを糾合していく。県協会や自治体の関係者、アルビレックスのサポーターやボランティア、スポーツショップやイベントスペースの店長、などなど。

 やがて小島を中心に、新潟でのW杯をボトムアップで盛り上げるためのアライアンス(連携)が形成されていく。これが2000年の話。その後、小島は新潟を離れるが、金子が受け継いで2002年4月にアライアンスはNPO法人となった。

 アライアンスの活動は、本稿では書ききれないくらい多岐にわたった。アルビレックスのホームゲームをオレンジで染めるプロジェクト。イベント会場を借り切っての代表戦のパブリックビューイング。識者やジャーナリストを招いての勉強会。テンポラリーなイベントだけではない。ここで注目したいのが、20年後の現在も継続している「もくはちクラブ」とスポーツボランティア「SON(スピリットオブ新潟)」の活動だ。

「もくはちクラブというのは『木曜(午後)8時』の意味で、500円を払えば誰でもフットサルに参加できるイベントを毎週開催していました。その後、アルビの選手になる田中亜土夢も、小学生時代に参加していたそうです。あそこでサッカーを始めた人は多かったと思いますし、そこからさまざまな交流が生まれました」(小島)

「SONは、アルビのホームゲームをボランティアで支える団体でした。最初は勝手連で始まりましたが、ここで経験を積んだ何人かは、ワールドカップのボランティアでリーダーを務めるようになりました。今はやっていませんが、その後もアルビの試合で継続的にボランティアをしていたメンバーは、自分を含めて多かったですね」(金子)

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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