環境は変えられない― 離島で生まれ育った岩政大樹がプロサッカー選手になれた理由
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じ、自身の経験を語ってくれた。
「島の外に出るのが難しい」…生まれ育った山口・周防大島町町は高齢化率53%超の離島
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じ、自身の経験を語ってくれた。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
前後編でお届けする前編は「不利な環境の乗り越え方」。離島で生まれ育ったゆえに苦労したことは、本土との物理的な距離による移動の困難さと情報不足だった。サッカーを続けるためには島を出なければいけないような環境に生まれ育った岩政氏は、どうしてサッカーを続けることができたのだろうか。
◇ ◇ ◇
「将来の夢って何ですかね?」。大人たちは簡単に「夢を持て」と言うけれど、目に映る世界は美しい山と海しかなかった。両親はともに教師。定年退職を迎えた祖父母は農業を営んでいた。6人しかいなかった同級生の親は、派出所の駐在員やバスの運転手、商店の店主。現在のようにインターネットが普及していなかった離島では、将来の夢や目標を見つけることさえ簡単ではなかった。
山口県周防大島町。瀬戸内海に浮かぶこの島は、瀬戸内の穏やかな海と連なる山々からなる。1万6000人ほどの人口に対し、65歳以上の高齢者の数は約半数。高齢化率は実に53パーセントを超える。日本全体の高齢化率が約28パーセントであることを考えれば、どれだけ高齢化が進んだ地域か理解できる。「昔、高齢者の割合が日本一だと聞いたことがあります。日本は高齢化率が世界1位なので、もしかしたら大島は世界一なんじゃないかって話をよくしていました。簡単に言えば、僕が生まれ育った島はそういう町です」。岩政氏は故郷について、そう説明した。
「今でこそ、IターンやUターンが増えており、インターネットがつながればどこででも生活できるという時代になってきましたけど、僕たちが子供の頃はやれることに制限がありました。だからサッカー少年たちも、中学でサッカーを続けられない現状があって、島の外に出ていく子も多かった。いろいろなものが足りない場所でもありましたね」
1976年に開通した大島大橋によって、島は本土とつながっている。しかし、周防大島は瀬戸内海に浮かぶ島のなかで3番目に面積が大きく、橋に近い地域に住んでいる人たちは簡単に島を出ることができるが、そうではない人たちは島を出るのは容易ではなかった。岩政氏が住んでいた地域でも「自転車だと1時間。車でも、15分ほどかかっていた」という。さらに今でこそ橋を渡るのは無料だが、岩政氏が子供の頃は有料だったため、「島の外に出るのが、今よりも難しい時代だった」と振り返る。
日用品は島の外にある柳井市で揃え、「家族の行事のようなもの」とたとえた月1回の家族での買い物は車で1時間ほどかかる岩国市か徳山市に出かけ、そこで洋服などを買ってもらった。そして、車で2時間ほどかかる広島までの遠出は、岩政少年にとって「1年に1度の一大イベント」だった。