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「先輩の洗濯」とは無縁 闘莉王と日本の部活「僕の『正しい』が全て間違っていた」

高校生活の第一歩には人生観を揺るがすカルチャーショックがあったという【写真:荒川祐史】
高校生活の第一歩には人生観を揺るがすカルチャーショックがあったという【写真:荒川祐史】

「5分前集合」「先輩の洗濯」とは無縁、遅刻癖が抜けず監督に怒られる日々

 渋谷教育幕張高の3年間。千葉県選抜に選出され、国体優勝メンバーとなった。3年生で県予選決勝で直接FKを叩き込み、同校史上初の全国選手権大会出場に導いたが、高校生活の第一歩には人生観を揺るがすカルチャーショックが待っていた。

「日本に来て、部活の規律の厳しさというものが、自分にとっての大きな壁でした。ブラジルでは遅刻して当たり前。何て言うんですかね、“ルーズさ”というのがたくさんある国なので。日本に来て、電車が59分発だったら、59分にちゃんと出発するというのは、自分の感覚には全くなかった。今でもブラジルに戻ると、仲間との食事の集合時間が12時だったら、12時30分でも1時でもいいくらい。基本的に“時間を守る”という概念が全くなかったんです」

 ラテン気質の国で暮らしてきた環境では「時間厳守」「5分前集合」という部活の鉄則とは無縁。入部1か月はブラジル時代の慣習が抜けず、監督から何度も怒られた。当時はブラジルから毎年1人、サッカー留学生が入部。だが、日本の流儀に馴染めずに遅刻癖が抜けず、部活でも浮いた存在になってしまう先輩もいた。練習場を整備するためにトンボをかける。先輩のユニフォームを洗濯する。ブラジル時代ではなかったことだ。

「日本とブラジルのギャップがあまりにもありすぎた。言葉遣い、目上の人に対するリスペクト、上下関係というものも部活に入ってから気づかされたものです」

 高校での活躍で卒業後、J1サンフレッチェ広島に入団。プロとしてのキャリアを歩き始め、2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で日本代表をベスト16に導くに至った。華やかなキャリアも、日本の部活で過ごした3年間がその礎となったという。

「部活の財産はブラジル時代の緩さ、という部分をなくしてくれたことだと思います。一流の国がこうやってやるんだという、その流儀を学ぶことができました。もっと小さな時からから日本に来ていたら、難しさを実感することはなかった。人格が多少でき上がっていた自分にとっては苦労しました。これが正しいと思っていた価値観があったから。白黒をつけることができる年齢になってから、自分が正しいと思っていたことが、まったく正しいものではないことが日本に来て分かったことです」

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田中マルクス闘莉王

1981年4月24日、ブラジル・サンパウロ州生まれ。37歳。98年、渋谷教育学園幕張高にサッカー留学で来日。01年、広島入団。03年、日本国籍を取得し、登録名を「トゥーリオ」から「田中マルクス闘莉王」に変更。04年アテネ五輪では3試合全てに出場。10年W杯南アフリカ大会では4試合全てに出場し、16強進出に貢献。代表通算43試合8得点。17年、京都サンガF.C.に入団。同年、Jリーグ史上初のDF登録選手による通算100得点を達成した。185センチ、85キロ。

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