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「それが部活の良さ」 大久保嘉人、“国見史上最弱”が育んだ反骨心「死ぬほど練習した」

時代とともに変わる指導法「大事なのは伝え方」

 現在、多くの部活では、大久保の高校時代からは指導方法や練習が大きく変わっている。またクラブユースも元プロが指導するようになり、指導者の質と環境の良さは20年前とは比較にならないほど進歩した。

「今の部活は、俺らのような時の厳しい指導はなくなってきていると思うけど、そこで大事になってくるのは伝え方だと思うんです。分かりやすく、丁寧に伝えることが大事だと思う」

 大久保家の長男・碧人くんもサッカーを続け、高校での部活を選択した。部活とクラブユース上がりの選手を見てきた大久保だが、息子の選択には何も言わなかった。

「自分の選択は自分でするのが大事なので、俺はもう行ったところで頑張れしか言わない。ただ、途中で諦めたりするのだけはやめろと言いました。俺の血が入っているので、俺みたいになれる可能性があると思うし、期待しています(笑)。チャンスを掴んで可能性を広げるために、どんどんチャレンジしてほしいね」

 そう伝えられるのは、大久保自身がそうしてチャンスを掴み、成長してきたからでもある。その経験を息子たちだけではなく、多くの未来のサッカー選手に伝えていく気持ちはあるのだろうか。

「今は、何も考えていないです(笑)。やめると決断してからサッカーに未練は一つもないんですよ。これからサッカーボールを蹴るのは、子供と遊ぶ時ぐらいでいいやって思っているぐらい。ただ、いろいろチャレンジはしていきたい。今まで、そういう人生だったので(笑)」 

 これから先、大久保は何を選択するのか。きっと何を始めるのにも意外と不安症なので、努力と勉強を重ねて腹を決めたら果敢にチャレンジしていくだろう。

 それがプロ生活20年に得た財産であり、大久保の生き方である。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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大久保嘉人


 1982年6月9日生まれ、福岡県出身。国見高3年時に高校3冠を達成し、インターハイと高校選手権では大会得点王を獲得した。2001年にセレッソ大阪でプロキャリアをスタートさせると、闘争心溢れるプレーで存在感を発揮。03年に日本代表デビュー、04年にはU-23日本代表の一員としてアテネ五輪に出場、10年にはA代表の主力として南アフリカW杯ベスト16進出に貢献した。マジョルカ、ヴォルフスブルクでのプレーを挟みながらヴィッセル神戸に通算6シーズン在籍すると、13年に川崎フロンターレに移籍。1年目でキャリア最多26ゴールを決めると、史上初のJリーグ3年連続得点王の偉業を達成した。今季、古巣のC大阪に復帰し歴代最多となるJ1通算191得点にゴール数を伸ばすも、11月19日に今季限りでの現役引退を発表した。

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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