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サッカー以外に武器はあるか? 元Jリーガー社長が語る引退後の進路選択で大切なこと

1993年の開幕から30シーズン目を迎えているJリーグは、これまで時代を彩るスターを生み出してきた一方、毎年多くの選手が現役生活に別れを告げ、人生の選択を迫られてきた。期待の大卒ルーキーとして2004年にFC東京に加入した中村亮は、怪我によりわずか2年で引退。その後は中学教師などを経て米国留学を決断し、起業の道へと突き進んだ。会社設立当時の日々を振り返りながら、プロ選手や高校生のキャリア選択について自身の経験を踏まえて語った。(取材・文=加部 究)

米国で起業した中村亮氏、現在では年間100人の日本人選手を現地の大学へ留学させている【写真:株式会社WithYou】
米国で起業した中村亮氏、現在では年間100人の日本人選手を現地の大学へ留学させている【写真:株式会社WithYou】

「元Jリーガー社長のキャリア選択」第4回、出資金ゼロで留学代理店をスタート

 1993年の開幕から30シーズン目を迎えているJリーグは、これまで時代を彩るスターを生み出してきた一方、毎年多くの選手が現役生活に別れを告げ、人生の選択を迫られてきた。期待の大卒ルーキーとして2004年にFC東京に加入した中村亮は、怪我によりわずか2年で引退。その後は中学教師などを経て米国留学を決断し、起業の道へと突き進んだ。会社設立当時の日々を振り返りながら、プロ選手や高校生のキャリア選択について自身の経験を踏まえて語った。(取材・文=加部 究)

 ◇ ◇ ◇

 元Jリーガーの中村亮は、米国留学中に新しいビジネスのアイデアが浮かび起業した。真っ先に相談を持ちかけたのは、現地で留学の支援を続けてきてくれた西村明香だった。

「日本では元Jリーガーの肩書きがあるから失敗をし難い。でも米国なら、失敗したら会社を畳んで帰ればいい」

 本音を打ち明ける中村に対し、もともと起業に興味があったという西村は答えた。

「もし留学を希望するお客様に来て頂けるならサポートできる自信はあります」

 こうして出資金ゼロで留学代理店がスタートした。米国では会社設立にほとんど資本金が不要で、逆に蓄えがなくても始められるビジネスだった。

 早速中村は、米国内のコネクション作りのために広大な大陸を縦横に走り回った。各大学の活動や試合を視察し、監督と話しチーム分析をする。何かに取り憑かれたかのように、ひたすらそれを繰り返したという。一方で日本では、まず母校の滝川第二高校サッカー部で話をすると、2人の留学希望者が現れた。

「本当に片田舎の小さな大学へ送ったのですが、彼らが期待通りの活躍をしてくれました」

 幸運だったのは、この大学の監督がスペインからの移民だったことだという。

「ご自身も最初は留学生だったので、心細さなどを理解してくれて気遣ってくれました。それにあんな片田舎でも直接会って話をしたことで、監督に信用してもらえた。オンラインの世の中だからこそ、オフラインで顔を合わせる重要性を改めて認識しました」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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