[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「個人戦で精一杯なヤツ」は勝てない 高校で急成長、“柔道家”大野将平の価値観を変えた恩師の教え

多感な思春期を、トップアスリートたちはどんな思いを抱きながら駆け抜けたのか。キャリアを積み重ねた今だからこそ見える景色とは――。THE ANSWERが各競技を代表するアスリートたちの“原点”に迫るインタビュー連載「10代のジブンへ」。スポーツに勉強に一生懸命だった日々を振り返りながら、その後のキャリアにつながった経験、人生を変えた出会いや言葉などを思い起こし、今を生きる中高生アスリートにメッセージを送る。

大野将平さんが講道学舎で過ごした6年間を振り返った【写真:増田美咲】
大野将平さんが講道学舎で過ごした6年間を振り返った【写真:増田美咲】

連載「10代のジブンへ」第3回、大野将平(柔道)中編

 多感な思春期を、トップアスリートたちはどんな思いを抱きながら駆け抜けたのか。キャリアを積み重ねた今だからこそ見える景色とは――。THE ANSWERが各競技を代表するアスリートたちの“原点”に迫るインタビュー連載「10代のジブンへ」。スポーツに勉強に一生懸命だった日々を振り返りながら、その後のキャリアにつながった経験、人生を変えた出会いや言葉などを思い起こし、今を生きる中高生アスリートにメッセージを送る。

【注目】女性のバストは「激しく揺れている」 競技パフォーマンスに影響する可能性も…研究員が語る運動時の衝撃の大きさ(W-ANS ACADEMYへ)

 山口から上京し、講道学舎で中学、高校時代を過ごした大野将平さん。柔道家としての土台が築かれた6年間は、恩師からの教えを心と体に刻み続け、力に変えていった時間でもあった。後に五輪連覇を果たす柔道家が、恩師の持田治也さんから10代で学んだことを振り返った。(取材・文=二宮 寿朗)

 ◇ ◇ ◇

《人には誰しもターニングポイントがある。それは大野将平さんも同じだった。中学、高校の6年間を過ごした柔道の全寮制私塾「講道学舎」時代。負けてばかりの中学3年間を終えると、講道学舎を創設した持田治男氏の孫にあたる持田治也さんに直接指導を受けることによって頭角を現していくようになる》

 講道学舎での中学3年間は、まったく先が見えなかった。自分の強くなっている姿を想像すらできない。兄がいて、兄と同じ代には海老沼匡さんがいて、強い人がいっぱいいるなかで、自分なんかはその下の下にいる。1日を乗り越えるだけで精一杯で、先のことなんか考えられなかったです。

 ただ山口から出てきた体の小さい少年が、毎日圧倒的な量の練習で土台をつくり、圧倒的な量の食事で内臓を強くしていった。今思えばですけど、心身ともにタフになったところは相当にあったと思います。

 講道学舎の道場は二面あって、中学生と高校生が分かれて練習をします。中学校での試合が全部終わって高校に上がるタイミングで、高校生と一緒に練習できるようになる。そこから急速に力をつけていきました。その後、天理大学に進学した際も、卒業して旭化成に入社した際もそうなんですが、“環境の変わる時期に人間は大きく伸びる”という実感を、得ることができました。高校生を指導する持田治也先生の目の届くところで練習することによってより緊張感が増し、自分の柔道スタイルを確立していく過程に入っていきました。自分の柔道人生において中学から高校になるところが、やはり一番のターニングポイントだったかなとは思います。稽古の量は中学の時と比べて半端ではなかったですね。高校生になったら楽になると思ったら大間違い。でも土台ができ上がっていたので、ついていくことができました。

《大野さんは師が監督を務める世田谷学園高校に進学し、金鷲旗高校柔道大会に1年時からレギュラーとして出場。2年生ではインターハイ男子73キロ級で優勝を果たし、その名を轟かせている。兄・哲也さんを参考にした内股を得意としつつ、師の教えから大外刈りを習得しようとする。1日1000本の打ち込みによって徹底的に体に染みこませた》

 レギュラーに選んでもらって結果はなかなか出なかったにしても、力がついていく感じは自分のなかにありました。大外刈りや組み方など持田先生から授かったスタイルを稽古のなかではやれても、実戦になると発揮できないもどかしさもありました。

 正しく組んで、正しく投げる。柔道家の価値観はそれぞれにあるにせよ、正しい柔道、いわゆる王道こそがかっこいい柔道なんだという価値観を持田先生から学べたし、その軸を持つことができました。

 大外刈りは、本当にゼロから築いていったものです。これは社会人になってからですが、持田先生に「どうして授けてくれたんですか?」と直に聞いたことがあるんです。そうしたら「お前は真っ白なキャンバスだったからだ」と。つまりはピュアで、与えられる技術を信じて一切疑わなかった。白いキャンバスは色を塗りやすいから、スッと綺麗にハマっていったところがあったんでしょうね。

 段々と力がついてはいましたが、とんでもなく強いOBの先輩たちが講道学舎にやってくるので勘違いすることはまったくなかったですね。高校生になると、瀧本誠さんにもよく指導してもらいました。実は中学生で講道学舎に1週間経っていないうちに、練習に来ていた瀧本さんと稽古で目が合ったので、(乱取りの)一本目をやっていただいたんです。こんなに近くに五輪の金メダリストがいるわけですから、ずっと見ていたんでしょうね。瀧本さんの柔道着を洗ったりもしていて、私のなかではちょっとした縁を感じていました。急速に力をつけていったのは、そういった環境のおかげもありました。

1 2

二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
ABEMA
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集