「山口に連れて帰ってくれ」 胸に突き刺さった兄の言葉、中学生の大野将平に芽生えた小さなプライド

逃げて山口に帰ったら「自分の人生は終わり」
《過酷な鍛錬の場は、大野少年の心に重くのしかかる。柔道で強くなれている実感があればまだしも、そういうこともない。逃げ出したいと思ったことは一度や二度ではなかった。それでも食らいついていくしかなかった》
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中1で初めて山口に帰省した時、母に「地獄だよ」と言ったそうです。短い休みが終わって母に車で空港まで送ってもらう時、また戻らなきゃいけないのかと憂鬱になりました。逃げ出したいとは思っても、最初は反対した母が覚悟を持って私を講道学舎に送り出したことは分かっています。東京に柔道留学させているというだけで、周りからは「大野くんは柔道で頑張っている」という目で見られます。もしそこで逃げて帰ったとしたら、自分の人生は終わりだ、くらいに考えていました。
そして何より、入門時の「山口に連れて帰ってくれ」という兄の一言がありました。もし逃げたら、兄に迷惑をかけることになる。自分の小さなプライドなんですけど、それだけは絶対に避けたかった。だから毎日、耐えて耐えて、でしたね。
あの時代は携帯電話も持てなかったし、部屋にテレビもない。学校に行っても、隙あらば寝るというだけ。毎日、必死すぎて中学時代の記憶ってほとんどないんです。ただ、ようやく伸びるタイミングというものに出会うことになります。
(中編へ続く)
■大野 将平 / Shohei Ono
1992年2月3日、山口県山口市生まれ。7歳で柔道を始めると、兄の背中を追って中学で上京し講道学舎に入る。厳しい指導の中で次第に頭角を現すと、高2のインターハイ男子73キロ級で優勝。天理大に進学後は国際大会でも結果を残し始め、2012年のグランドスラム東京大会で初優勝、13年世界選手権も制した。旭化成所属となって以降も15年世界選手権優勝など結果を残すと、16年リオデジャネイロ五輪に初出場。屈強な外国勢を相手に強く美しい柔道を披露し金メダルに輝いた。その後もトップに君臨し続けると、21年東京五輪で連覇を達成。23年2月に第一線から退くことを表明すると、英国への指導者研修を経て、現在は旭化成柔道部のコーチを務めながら、各地で柔道教室に参加するなど競技の普及に力を注いでいる。
(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)
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