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高い選考基準を突破した池江璃花子 成長は驚異的、記者に見えた“限界”破った底知れぬ凄さ

池江璃花子(23=横浜ゴム)の「成長」は驚異的だった。競泳のパリ五輪代表選考会第2日が18日、東京アクアティクスセンターで行われ、池江は女子100メートルバタフライに出場。派遣標準記録を切って2位に入り、個人種目での出場を決めた。高すぎると思われたハードルをクリアし、次は「世界で戦う」ことが目標になる。(文=荻島 弘一)

女子100メートルバタフライで2位に入り、パリ五輪出場を決めた池江璃花子【写真:Getty Images】
女子100メートルバタフライで2位に入り、パリ五輪出場を決めた池江璃花子【写真:Getty Images】

女子100メートルバタフライでパリ五輪切符を獲得

 池江璃花子(23=横浜ゴム)の「成長」は驚異的だった。競泳のパリ五輪代表選考会第2日が18日、東京アクアティクスセンターで行われ、池江は女子100メートルバタフライに出場。派遣標準記録を切って2位に入り、個人種目での出場を決めた。高すぎると思われたハードルをクリアし、次は「世界で戦う」ことが目標になる。(文=荻島 弘一)

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 昨年11月、パリ五輪派遣標準記録が発表された段階では、池江の個人種目での代表入りは厳しいと思った。最も可能性があると思われた100メートルバタフライでも復帰後の自己ベストは昨年4月に出した57秒68。派遣標準記録57秒34までの0.34秒差は、決して小さくなかった。

 池江は白血病から復活した21年4月の日本選手権を57秒77で制している。しかし、以後の3シーズンでこの記録を上回ったのは57秒68を出した23年日本選手権の1回だけ。ここが限界にみえたし、わずかな期間で急激にタイムを縮めるのは夢物語のようにさえ思えた。

 昨年までの状態でも、パリ五輪出場は見えていた。自由形短距離では国内トップレベル。個人種目での代表入りは無理でも、東京五輪と同様にリレーで拾われる可能性は高かった。しかし、池江は個人種目での代表入りにこだわった。個人で世界と戦うことをあきらめていなかった。

 オーストラリア行きはギャンブルだったに違いない。大事なレースの直前に環境を変えるのは、大きなリスクも伴う。慣れない練習方法や調整法に泳ぎを崩すケースもある。海外に拠点を移すアスリートは少なくないが、ほとんどは次の目標まで時間がある五輪直後などのタイミング。停滞を脱するには一か八かの大胆な挑戦が必要だったのだろう。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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