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選手も協会も“負け慣れ”した長い低迷から復活 ハンドボール男子36年ぶり自力五輪切符の足跡

ハンドボール男子日本代表が、長いトンネルを抜け出して自力での五輪出場を決めた。28日にカタール・ドーハで行われた24年パリ五輪アジア予選決勝でバーレーンと対戦し、32-28で勝利。1988年ソウル五輪以来36年ぶりの予選突破を果たした。韓国の台頭、カタールの急成長、西アジア寄りの「中東の笛」――。長い苦難の歴史を塗り替えたのは、新しい力だった。(文=荻島 弘一)

自力での五輪出場を決めたハンドボール男子日本代表【写真:Getty Images】
自力での五輪出場を決めたハンドボール男子日本代表【写真:Getty Images】

36年ぶり予選突破した男子日本代表の原動力になった新しい力

 ハンドボール男子日本代表が、長いトンネルを抜け出して自力での五輪出場を決めた。28日にカタール・ドーハで行われた24年パリ五輪アジア予選決勝でバーレーンと対戦し、32-28で勝利。1988年ソウル五輪以来36年ぶりの予選突破を果たした。韓国の台頭、カタールの急成長、西アジア寄りの「中東の笛」――。長い苦難の歴史を塗り替えたのは、新しい力だった。(文=荻島 弘一)

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 激戦から2日。30日に都内で行われた報告会見で、東江雄斗主将(ジークスター東京)は笑顔で言った。「日本のハンドボールの歴史に、新たな1ページが刻めました」。88年ソウル大会を最後に遠ざかっていた五輪の舞台。韓国やカタールの高すぎる壁、中東の笛にも苦しめられてきた。16年リオデジャネイロ大会では、全28競技の中で唯一五輪に誰も出場できない屈辱。「先輩たちの悔しさを晴らすことができた」。長すぎる低迷を振り返るように、東江は言った。

 東京大会こそ開催国として出場したが、今回もアジア予選突破は厳しいと見られていた。「前哨戦」の杭州アジア大会は4位、五輪予選で同じ組のバーレーンに2点差、クウェートには1点差で惜敗した。この差が大きいようにも思えた。

 しかし、チームは手ごたえを得ていた。荷川取義浩チームリーダーは「けが人もいて万全でない状態ながら僅差で戦えた。日本は上積みが望めるだけに、予選では逆転できると思っていた」。ダグル・シグルドソン監督は母国アイスランドに戻り、この日は欠席だったが、舎利弗学コーチは「ダグルもチームのレベルアップを信じていた」と話した。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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