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日本で名将オシムと出会えた幸運 元J助っ人、“考えて走る”サッカーに「共感できた」理由とは

Jリーグで強く印象に残っている3人のFW

 J1に復帰した広島は、斬新な攻撃的スタイルで旋風を巻き起こすが、2009年が4位、翌2010年は7位に終わる。

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「みんな良いプレーをしていて、どんなライバルチームも広島を警戒するようなチームになっていた。でも故障者が多くて、いつもスタメンが3、4人欠けている状態だった。逆に森保(一)さんが優勝した頃は、フィジカルとスタミナが上がり、故障者がなく、ずっと同じメンバーで戦えていた」

 Jリーグで実際に対戦してみて、強く印象に残っている選手を聞くと、玉田圭司、前田遼一、佐藤寿人と3人のFWの名前が挙がった。

「DFとして彼らへの対応は本当に難しかった。テクニックも高いし、凄くスピードがあったからね」

 現役を続けている間は、日本語も話せず、日本食も得意ではなかった。

「ラーメンは毎日でも大丈夫だけど、生の魚などは苦手だった。でも引退してから、いろいろ試すようになり、今では全く問題なくなりました」

 独学の日本語は発展途上中だが、それも指導をする高校生たちからは人気を集めている。(文中敬称略)

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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イリアン・ストヤノフ

元ブルガリア代表DF 
1977年1月20日生まれ。ブルガリア出身。現役時代は高い技術を備えたセンターバックで、母国の名門レフスキ・ソフィアなどで活躍すると、ブルガリア代表として2004年のEUROに出場した。2005年にジェフユナイテッド千葉に加入。イビチャ・オシム監督の下でリベロとして存在感を示すと、同年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)初優勝に貢献した。2007年からはサンフレッチェ広島、2011年からファジアーノ岡山でプレーしスパイクを脱いだ。引退後も日本に留まり、山口県でFCストヤノフサッカーアカデミーを開校。2021年にはカマタマーレ讃岐コーチを務め、今年から相生学院高校サッカー部のコーチに就任した。

加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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