[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「才能がない」と悟った北嶋秀朗の決断 超高校級FWに衝撃受けた市立船橋での分岐点

才能がないからこそ「自分が生きていく術を考え抜く」

 プロという将来を見据えて、ずっとトライを続けてきた。ポジションも、ストライカーは行き着いた結果だ。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

「中学の時はトップ下だったし、市船も選手権デビュー戦は左サイドハーフでした。次の試合からFWで点を取ったんです。2年生になった時、『トップ下とFW、どっちがいい?』って布(啓一郎)監督に訊かれて。その時までトップ下が多かったんですけど、『FW』って答えました。中盤はいいプレーが曖昧で、あまり気持ち良くなくて。FWは“点取ったらナイス、取らなかったらダメ”ではっきりしていて、単純なのがすっきりして良かったんです」

 北嶋はその都度、自分と向き合ってきた。流されることだけはなかった。そこに成功の秘訣があるのかもしれない。

「2年生の時も、自分からプレースタイルを変えていて。それまでは抜け出しだけでどうにか通用していたけど、“このままじゃ、プロは無理”って考えました。それで、ポストプレーをめっちゃ練習して。プレースタイルを変える怖さ? それはなかったです。失敗したこともあるんですが、トライし続けてきたからこそ、プロでもやれたはずで……」

 北嶋は言う。己の弱さと対峙することができた。彼の結論はプロを目指すサッカー選手への希望だ。

「自分の才能がないんだから、他人のせいにできなかったんです。そう考えると、才能がない子のほうがチャンスかもしれません。考えて、考えて、自分が生きていく術を考え抜く。そこで出た答えで失敗することはあっても、どうにか正解にする。そうやって、ずっとプレーをアップデートし続けられることができたら……」

 自分と向き合い続けられることが、北嶋の才能だった。(文中敬称略)

【第1回】高校サッカーの名門“市船”の重みとシゴキ 北嶋秀朗「すべて肯定するわけではなく…」

【第3回】高校サッカーが生む「怪物FWいる」 北嶋秀朗も実感、選手権の力とカオスな部活の環境

(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

1 2 3

北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
UNIVAS
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集