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“ドラゴン”久保竜彦に訪れた転機 運命のマリノス移籍を決めた名将・岡田武史の言葉

才能を開花させた“ドラゴン”久保の移籍

 その前年に広島がJ2降格の憂き目に遭った。すると久保の能力を高く評価するJクラブから数多くのオファーが舞い込んだ。そのうちのひとつが、オリジナル10である名門の横浜F・マリノスだ。

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「サンフレッチェがJ2に降格してしまって、新しい監督とうまくやっていけるか分からなかった。それでいろいろなチームからの話を聞いて、その時に自分を必要としてくれるチームがあることを知ったんです。高校時代の恩師がマリノスの強化部の方と一緒にプレーしていた縁もあって、岡田(武史)さんに会ったら『うまくなるから』と言葉をかけてくれて。話している雰囲気が好きで、すぐに決めました」

 移籍した2003年といえば、横浜F・マリノスが完全優勝を成し遂げたシーズンで、その原動力となったのが背番号9の久保だった。

 ただ、本人にとっては苦しい記憶が先行している。

「サンフレッチェ時代に日本代表に選ばれても全然いいプレーができなくて。所属チームではコンビネーションを大切にしていたけど、代表は個の能力を極めた選手ばかりだった。マリノスに移籍加入した当初も似たような感じ。でも代表と違ってクラブでは同じ仲間と同じ時間を長く過ごすわけじゃないですか。最初の半年くらいは難しかったけれど、岡田さんは我慢強く試合に使ってくれた。それで少しずつ自分の出し方というのを分かってきて、なんとかボールが来るようになって、シュートを打てるように考えました」

 見た目からはまったく想像できない繊細さで戸惑っていた“ドラゴン”こと久保。実際に開幕から6試合で1得点と、期待に応えられずにいた。

 しかし、岡田監督は1stステージ全15試合に久保を先発起用。信頼を言葉ではなく采配で示した。すると我慢が実ったのか、その後の9試合で7得点を決めた1stステージ優勝に大きく貢献。2ndステージもFWの軸として力を発揮し、完全優勝を懸けた最終節にドラマが待っていた。

 対戦相手はジュビロ磐田。磐田は引き分け以上で2ndステージ優勝が決まる有利な状況で、横浜F・マリノスは勝利しても他会場の結果次第ではタイトルに手が届かない。

「当時はジュビロがとにかく強くて、内容としても完璧なサッカーをしていました。自分たちもそういうサッカーがしたいという理想はあったけれど、1stステージ優勝の時も2ndステージも自分たちの思い通りに運べた試合はほとんどなかったかな。マリノスが飛び抜けて強かったシーズンではなかったです」

 それでも史上稀にみる大混戦を制したのは横浜F・マリノスだった。

 開始2分に先制点を許すと、前半15分にはGK榎本哲也が一発退場。勝利が必須の試合で、スコアだけでなくピッチに立っている人数でも不利という絶体絶命の状況に追い込まれる。

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