「気性の荒い大久保嘉人」を20年演じていた プロ生活での“理解されない”苦悩を告白
最大の感謝をする相手は「うちの嫁」と即答
試合で悔しい思いをしたこともあった。
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「南アフリカ・ワールドカップ(W杯)は悔しかった」
2010年の南アフリカW杯、日本代表は開幕前、まったく期待されていなかった。大会直前の合宿中に戦術を変更し、キャプテンを代え、レギュラーもかなり入れ替えた。本番前の突貫工事で負けたら空中分解しそうな状況でW杯に突入した。だが、初戦のカメルーン戦に1-0で勝利すると、第3戦でデンマークにも3-1で勝ち、グループリーグを2位で突破。ベスト16でパラグアイと対戦した。大久保は左MFのレギュラーとして出場。勝ってベスト8に進出すれば日本サッカー史上初の快挙となる。だが、パラグアイにPK戦の末に敗れた。
「今でもパラグアイには勝てたんじゃないかなと思うし、しかもPKで負けたのが悔しかった。その次はスペインとの対戦になっていたので、勝ってスペインとやりたかった。ただ最後、負けた悔しさはあったけど、このワールドカップは自分としてはやり切った感があった」
パラグアイ戦に敗れた後、大久保はビブスを握りしめて涙を流した。
続く2014年ブラジルW杯の時はグループリーグで敗退したが、涙は出なかった。主力としてプレーしたチームに深い思い入れがあり、ベスト8まであと一歩というところまで迫った。W杯という大舞台で、それを乗り越えられなかった悔しさは、サッカーをしている間は、ずっと心に残っていた。
その南アフリカW杯から11年後、大久保は現役引退を決めたわけだが、20年間のプロサッカー人生において「最大の感謝」を捧げるとすれば、誰になるのだろうか。
「うちの嫁ですね」
大久保は、即答した。
「いや、もう俺がこういう性格なもので、移籍する時、嫁に相談することもなく、ポンポン勝手に決めて“行くわー”って感じだったんですよ。勝手に決めているから、そりゃ(嫁に)怒られますけど、何を言われてもサッカーをするのは俺だし、決めたら早く行きたい。だから、引っ越しとかもすべて嫁まかせ。それは海外の時もそうだったので、けっこう振り回しましたね」
国内の移籍ならまだしも、海外移籍となると家族は大変だ。国内で7チームを渡り歩き、海外はマジョルカ(スペイン)、ヴォルフスブルク(ドイツ)の2チームでプレーした。
「移籍先を決めたら嫁は何も言わないし、サポートしてくれるんですよ。サッカーで上手くいかなくなっても、『ほらね』とは絶対に言わなかった。そこは最大の感謝です。嫁の協力なくしては生きていけなかった」