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「僕が座ると周りがはけていくけど…」 宮崎大輔が37歳で入り直した大学が面白い理由

異色の“スポーツ界トップ対談”が実現した。ハンドボールの宮崎大輔とBMXの内野洋平が「THE ANSWER」でオンライン対談を実施。互いの競技でトップに君臨し、培ってきた「No.1の哲学」について明かした。

38歳で再入学した日体大でプレーしている宮崎大輔【写真:ベンヌ提供】
38歳で再入学した日体大でプレーしている宮崎大輔【写真:ベンヌ提供】

「ハンドボール宮崎大輔×BMX内野洋平」、異色のスポーツ界“No.1対談”後編

 異色の“スポーツ界トップ対談”が実現した。ハンドボールの宮崎大輔とBMXの内野洋平が「THE ANSWER」でオンライン対談を実施。互いの競技でトップに君臨し、培ってきた「No.1の哲学」について明かした。

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 39歳の宮崎は日本リーグで前人未踏の通算900得点を記録。最高殊勲選手のほか、ベストセブン賞6度、フィールド得点賞4度など数々の輝かしい実績を残し、強豪・スペインで海外挑戦した経験を持つ。抜群の身体能力を武器にして、TBS系人気番組「スポーツマンNo.1決定戦」で3度の優勝を誇るなど知名度を誇り、ハンドボール界の第一人者として普及・発展に貢献してきた。

 一方、37歳の内野もBMXの第一人者として、長年活躍しているプロライダー。22歳で史上最年少の日本チャンピオンになると、以降は08年で初優勝した世界選手権などの国際舞台で活躍し、世界タイトルを11度獲得した。世界No.1に君臨し続け、「UCCHIE」の愛称で海外ファン熱狂させるカリスマ。無限に回り続ける回転技「ウッチースピン」は、世界共通のトリックである。

「ハンドボール×BMX」という異色の組み合わせだが、ともに日本でトップを走り続け、プライベートでも親交が深い2人。そんな両雄だからこそ共鳴する思いをぶつけた。後編は宮崎が37歳で大学に再入学した理由、2人が思う「失敗」の価値について。

 ◇ ◇ ◇

――この春は新型コロナウイルスにより、スポーツ界も大きな影響を受けました。その期間、どう過ごしていましたか?

宮崎「正直、全く練習ができなかった。今は日体大の選手なので、大学で練習したいところだけど、施設が封鎖されている。場所を見つけて縄跳び、体幹とか、できることはやっていたけど、十分にできる場所はなかった。ウッチーはあるんでしょ?」

内野「あります。町(拠点としている神奈川・寒川町)が作ってくれたパークがあって、施設自体は休館しているけど、僕個人の練習場としては使える。でも、基本的にBMXは公園とか、どこでもできるスポーツなので」

宮崎「実際、近所の公園でBMXの練習している人も見たよ」

内野「だから、こういう時にストリートスポーツは強いですよ」

宮崎「アスリートとして『ステイホーム』を呼びかけている分、俺は家にいなきゃいけない意識が強かったかな。スーパーに行くのも帽子を被って、マスクをして、3密にならないように徹底して。外に出ることが悪いことに思っちゃう部分もあって。なので、ランニングも朝5時に起きてやっていた。公園に行っても、どうしても人はいるから住宅街を走っていて大変だったよ」

――宮崎さんは4年生で中退していた日体大に昨年、再入学しました。今日も先ほどまでオンライン授業を受けていたとか。勇気がいる決断だったと思いますが、改めて経緯を教えてもらえますか?

宮崎「一番は環境の面。前にいたプロチーム(大崎電気)でも良かったけど、ポジションが変わったことが大きかった。昔はセンターという司令塔だったけど、今はサイドで一番走るところにいる。ポジションが違うと、シュートの技術も違う専門職なので。サイドをやったのは小学校の時しかない。じゃあ、大崎電気で挑戦できるかといったら、もう本職の選手がいるので難しい。じゃあ、日本代表でオリンピックを目指すなら環境を変えるしかないと。今からできる場所と考えると、日体大が思い浮かんだ。

 それで、お願いに行ったら、トントン拍子で再入学が決まった。自分と(代表の)ライバルを分析しても、走るところは僕の方が落ちていた。シュートの本数も落ちていたし、基本から変えなきゃいけないと。そういう意味では、日体大を選んで1年間やって勉強になった。大学の時にできていたものも、プロになると技術に走りがちになるので、基礎的な部分を見つめ直して成長できているかな。走れるようにもなったし。オリンピックに出られるかはわからないけど、準備しておかなきゃと思っています」

――アスリートとしてキャリアがあり、知名度もある。しかも年齢は当時37歳。大学生になれば、練習だけでなく授業も出なければいけない。その部分の抵抗感はなかったんですか?

宮崎「もちろん、選手として自分を変えなきゃいけない、今の自分に何が必要かを考えて、日体大を選ばせてもらった。いざ、大学になると、練習時間も長いけど、最初は何よりも授業が嫌だった。入学した時は37歳、1年生は18歳。年が“ダブルスコア”ですよ。授業中、僕が座ると周りがはけていく、教室内にドーナツ化現象が起きていて(笑)。めちゃくちゃ嫌だったけど、でも授業を受けていくと、体の作りだったり、メンタルの整え方だったり。生理学とかも凄く面白くて。

『あ、これ自分のためになるな』と。その考え方ひとつで、学校に行くことが辛くなくなった。大変なのは大変だけど、そう思えるようになった。『しんどい、きつい』と思うだけだったら、いつまでも変わらない。やらされている状態だから。自分から進んで、これを自分のものにしようとか、これを覚えていたら将来教える時に生きるなとか。そういう風に意識を変えていくと、大学自体も自分のためになるし、行って良かったなと思う。ウッチーはどう思う?」

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