異国で重ねたプロ20年…陽岱鋼が後輩に伝える日本の伝統「悪いことではない」 苦しんだ投手への“再適応”
台湾生まれが…後輩に伝える日本の感覚「ちゃんとしたほうが」
「台湾から来た時は本当にびっくりしましたけど、今では当たり前。日本の文化、この縦社会というのは確かに厳しいですけど、僕は悪いことではないと思います。ちゃんとした方がうまくいく。先輩やコーチの皆さん、球団の皆さんに対してちゃんとする。そうすると先輩に好かれるじゃないですか。しっかり大きい声であいさつした先輩が僕のことを覚えてくれる。つながっていくじゃないですか」
そして「僕にそのことを一番教えてくれたのが、(森本)稀哲さんです。プロに入った時に教えていただきました」と、日本ハムでの若き日を思い出して懐かしそうに笑う。
台湾・台東の中学校を出た陽は、福岡第一高に進み初めて日本の文化に触れた。当然苦労もあったが、今振り返れば若くして海外の文化に飛び込み、いいところも、悪いところも判断しながら成長できたのは良かったことしかないという。
「一番は出会いですよね。高校の同級生がいたから、僕はここまで残れていると思っているんです。運良くプロにも行けましたし」。もちろん、今も現役選手としてプレーしているのは陽だけだ。陽を囲む高校の同期会は、福岡や関西と場所を変え今でも毎年行われる。
「アイツらが、今でも僕の背中を押してくれるんです。彼らの思いに恥じないプレーをしたい。だから最後まで頑張ろうというのはあります。みんなには『引退する時は早く言ってくれ。全員で見にいくから』って言われたりもしますよ」
その時がもう遠くないことも、どこかで分かっている。陽は日本での出会い、重ねた時間をかみしめるかのように、全力で今シーズンを戦い抜く。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)