15歳で単身渡米を決断 深夜のお好み焼き屋、最強ボクサー中谷潤人が両親に告げた進路選択
アスリートのキャリアは選択の連続だ。トップ選手が人生を変えた“2分の1の決断”の裏側に迫る「THE ANSWER」の連載「選択――英雄たちの1/2」。次世代の中高生が進路選択する上のヒントを探る。

連載「選択――英雄たちの1/2」、中学3年で下した単身渡米の決断
アスリートのキャリアは選択の連続だ。トップ選手が人生を変えた“2分の1の決断”の裏側に迫る「THE ANSWER」の連載「選択――英雄たちの1/2」。次世代の中高生が進路選択する上のヒントを探る。
今回はボクシングの世界3階級制覇王者・中谷潤人(M.T)。現在はWBC世界バンタム級王座を保持し、階級最強の呼び声も高い。世界的にも井上尚弥(大橋)に次ぐ評価を得ている日本人だ。14日に2度目の防衛戦を控える26歳は、中学3年で単身渡米を決断。選択が人生にもたらしたもの、その判断基準は何だったのか。大一番を前に決断の背景を聞いた。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)
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三重県北部、東員町にある実家はお好み焼き屋。閉店後の深夜、中学3年の少年は両親に告げた。
「アメリカに行きたい」
小学生時代の中谷は空手に通っていた。勝利は少なく、店の常連客に勧められたのが階級制のボクシング。桑名市のジムに通ったのが運命の始まりだった。
「一番初めに教えてもらったのが石井広三(こうぞう)会長です。褒めながら教えてくれたので、凄く楽しかった思い出がある」
元東洋太平洋スーパーバンタム級王者の石井会長は世界王座に3度挑戦。いずれも夢破れた。「世界チャンピオンになるんだぞ」。中谷は基本から丁寧に手ほどきを受けた。「課題に取り組むことに対して楽しさを感じられた」。できなかったことができるようになる。喜びを覚え、アマチュアの全国大会を制した。
だが、よもやの転機が訪れる。2012年7月、恩師が急逝。34歳、交通事故だった。
「指導者に恵まれない時期が続いた」
夢はプロで世界チャンピオン。高校、大学に進学し、アマチュアで技術を磨いてからプロ入りする選手が多い。「人があまりしていないことをやりなさい」というのが両親の教え。中学3年生の視線は海の向こうにいく。
「『世界チャンピオンになるんだぞ』と言われていましたし、『プロで』という気持ちが強かった。世界チャンピオンになるためにはどうしていくのか。家族と話し合う中で広三会長が亡くなってしまった。それが凄く大きかったです。
指導者に恵まれないので、このまま日本にいてもダラダラと時間だけが過ぎていく。会長も現役時代にロサンゼルスで合宿をしていて繋がりがあったので、アメリカでやることに意味があるのかなと思いました。アマチュアで続けるという考えはあまりなかったですね」