米国で英語習得の日本人コーチ 渡英後に戸惑った“サッカー用語”の奥深さ「日本だと野球に近い」
サッカーの母国であるイングランドは、隆盛を極めるプレミアリーグを筆頭に長い歴史によって築かれた重厚な文化や伝統があり、いつの時代も圧倒的な権威を保っている。そんな世界最高峰の舞台に乗り込み、アジア人として初めて2018年にイングランドサッカー協会(FA) 及び欧州サッカー連盟(UEFA)公認プロライセンスを取得したのが高野剛氏だ。今回はイングランドに渡って感じた「サッカーの母国」が持つ奥深さについて。選手として渡った米国で英語をマスターし、指導者の道へ進んだ高野だったが、誇り高きサッカーの母国では同じプレーでも表現の仕方や用語の違いに戸惑ったと振り返っている。(取材・文=加部 究)
高野剛「世界最難関ライセンスを持つ日本人指導者」第2回、選手として渡った米国留学での原点
サッカーの母国であるイングランドは、隆盛を極めるプレミアリーグを筆頭に長い歴史によって築かれた重厚な文化や伝統があり、いつの時代も圧倒的な権威を保っている。そんな世界最高峰の舞台に乗り込み、アジア人として初めて2018年にイングランドサッカー協会(FA) 及び欧州サッカー連盟(UEFA)公認プロライセンスを取得したのが高野剛氏だ。今回はイングランドに渡って感じた「サッカーの母国」が持つ奥深さについて。選手として渡った米国で英語をマスターし、指導者の道へ進んだ高野だったが、誇り高きサッカーの母国では同じプレーでも表現の仕方や用語の違いに戸惑ったと振り返っている。(取材・文=加部 究)
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アジアで初めてイングランドでの指導者プロライセンスを手にした高野剛の原点は、米国への留学だった。
「ビジネス英語までをこなせて、お金に関することまでストレスなく話せるようになるまでには、6年間近くかかったと思います」
渡米して最初はスカジット・ヴァレー大学でプレーしていたが、4年時に「セミプロでやってみないか」と誘われ、後のシアトル・サウンダースのテストを受けて合格。しばらくはサテライトリーグでプレーしていたが、同時にコーチの依頼も舞い込むようになり、気がつけばピッチ内外を問わず会話に支障をきたすことはなくなっていた。英国へ渡ることにしたのは、勤務先の翻訳会社が倒産し、コーチ業を主な収入源にしなければならないという現実に直面したからだった。
米国では全く問題がなくなった会話も、渡英してライセンス取得を目指すことになると、用語そのものの違いや深みに戸惑うことになった。
「卓球の福原愛さんが『中国ではスマッシュを表す言葉でも何種類もニュアンスの違いがあって、それを学びたい』と語っているのを聞いたことがあります。私もイングランドで同じような経験をしました。例えば目の前で起こっている2つ、3つ、4つくらいの事象を、1つのセンテンスで済ませてしまう表現にたびたび遭遇しました。文化として浸透してイメージが共有されているから、そんな状況が起こっているのを一言で済ませてしまう。日本だと野球に近いのかな、と感じました」
誇り高いサッカーの母国には、外国から指導者資格を取りに来る人たちを、快く招き入れて気遣うような風習はない。
「指導者養成コースは、当然ながら基本的にはイングランドの指導者を育てるシステムです。だから自国の人たちなら、もう少し手厚くサポートしてくれるのかもしれませんが、外国から来た指導者については『あなたたちが自発的にここに学びに来たんでしょう』というスタンスなので、語学も含めて足りない部分を自分で埋める努力をするのは大前提でした」