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「女の子は甲子園に出られない」 野球少女をソフトボール天才打者に変えた中3の選択

もし、ソフトボールを見ていなければ「高校では何もしてなかったかも…」

「やればやるだけ結果が出るというのは、野球もソフトボールも一緒。だから、楽しかった」

 厚木商では、天性のバットコントロールで2、3年生とインターハイ連覇に貢献。2年生の夏に見たシドニー五輪で「私も将来はオリンピックに出たい」と夢ができた。卒業後は日立製作所に入団。1年目から日本リーグで本塁打王、打点王、ベストナイン、新人賞などタイトルを総なめにし、いつしか「女イチロー」という異名がついた。

 04年アテネ五輪で銅メダルを獲得し、主将を務めた08年北京五輪では決勝で宿敵・米国を撃破。金メダルを獲得し、日本中に感動を与えた。今はそれ以来、3大会ぶりに競技に復活した東京五輪へ向け、歩みを進めている最中。1年延期となり、37歳で迎える母国開催で金メダルを目指しているが、すべての礎となったのは高校時代だ。 

 そんな青春の日々を振り返る機会が、6月18日にあった。

 オンラインエール授業。「インハイ.tv」と全国高体連が「明日へのエールプロジェクト」の一環として展開し、史上初の中止となったインターハイで実施予定だった30競技の部活に励む高校生をトップ選手らが激励し、「いまとこれから」を話し合おうという企画だ。「あの時代があったから今の自分がいる。高校時代は自分の原点です」と全国のソフトボール部員に語り掛けた。

「高校時代、基本の練習を繰り返したことで、今の打撃、守備の基本ができた。その基本がなければ、今の自分はいない。同じことを繰り返しやって、当時は『練習、長いなあ』とか『意味あるのかな』と感じたこともあったけど、その基本の積み重ねが今後につながるんだと感じています。だから、続けてきて本当に良かったし、あの時代があったから今の自分がいると思います」

 今回のインタビューをしたのは、その授業後のこと。

 中学3年生で甲子園という夢が絶たれ、出会ったソフトボール。「もし、あの時にソフトボールを見ていなかったら?」と聞くと「高校では、特に何も(部活を)していかなかったかもしれないですね」と言う。

 近年は女子プロ野球も発足し、少年野球に女子が交じってプレーすることも珍しくない。中学3年生まで続けた場合、進路としては大きく分けて3つ。日本高野連の登録部員として公式戦に出られなくても男子と一緒に野球部でプレー、全国高校女子野球連盟の管轄で女子野球部でプレー。そして、山田のように競技形式の近いソフトボールに転向するなど、別の道に進むというもの。

 それぞれにそれぞれの理由があり、もちろん、正解は存在しない。ただ、この時期になると、夏の甲子園の地方大会で女子部員が3年間苦楽を共にした男子部員に対し、スタンドからエールを送る話題がニュースになる。

 実際に中学生まで白球を追いかけた立場として「平等に試合に出る機会があったらいいのに、とは思う。そこで夢を諦めてしまう人もやっぱりいると思うので」と言いながら、体格差がより顕著になる高校生で女子が男子と一緒にプレーする危険性など、様々な事情もあることは理解している。だからこそ「仕方ないと思う部分も、もちろんある」と複雑な胸中を覗かせた。

 しかし、山田は「自分で変えられないことに囚われても意味がない」と“ルールの壁”を嘆くより、前を向いたからソフトボールと出会えた。だから、野球少女たちに一番に願っているのは、自分で決めた道で腐らず、努力を重ねていくことだ。

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