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気温52度、死者も出た世界一過酷なマラソンで250km走破 元保育士女性、忘年会翌日に「私、サハラ砂漠マラソン走ります」

多くの支援者の存在を後押しに尾藤さんはプロランナーの活動を続けている【写真:本人提供】
多くの支援者の存在を後押しに尾藤さんはプロランナーの活動を続けている【写真:本人提供】

壮絶だったサハラ砂漠マラソン 夜はランナーがあちこちで嘔吐する音が…

 20年4月のレースに出場予定だったが、コロナ禍の影響で延期がつづき、21年10月に開催が決まった。

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 レースは、想像以上に過酷だった。直前にスパルタンレースに出て両足肉離れと骨挫傷の重傷を負ったが、懸命の治療で初日は痛みなく、食料、水、寝袋など9キロのリュックを背負ってもなんとか走れた。

「初日はちょっと足が痛いなぐらいで終わったんですが、2日目はめちゃ過酷でした。気温が52度まで上昇し、途中で人がバタバタ倒れていって……。途中、休憩のテントがあるんですけど、そこでスタッフに『少しでもヤバいと思ったら次に行かないでください』と言われたんです。その日に亡くなった人も出て、大丈夫かなと怖くなりました」

 だが、恐怖はその後もつづいた。

 猛烈な暑さの中での過酷なレースで、嘔吐や下痢を訴える選手が続出、その夜はランナーがあちこちで嘔吐している音で目が覚めた。翌日には尾藤さんも下痢と嘔吐に悩まされ、30年生きてきた中で一番具合が悪くなったという。

「オーバーナイトステージ4日目はオーバーナイトで83キロ走るんですけど、朝から具合が悪くて、食事が摂れなかったんです。キロ12分で走って、歩いているよりも遅い感じでした。とにかく食事を摂れないのがキツかった。1日2000カロリーを摂らないといけないんですけど、その半分も摂れない。トイレもないので、その辺でするか、ビバークというチェックポイントに布で仕切られてプラスチックのトレイみたいのに自分でビニール袋をかぶせて、終わると縛ってゴミ箱に捨てるんです。上は青空だし、臭いが強烈で鼻呼吸したら終わりだなと思い、しなかったですが、こんなにキツいのかと思いましたね」

 足にマメが出来ると安全ピンをあぶって穴をあけた。爪も浮いた状態になり、10本の足指のうち正常だったのは4本だけだった。最終日は男性ランナーを風除けに使い、カメラの撮影をやめて、走ることに専念した。なりふり構わない走りで、最後のブロックはトップでゴールし、女性総合2位になった。

「レースの7日間、前後も2日を合わせて9日間、砂の中を走り、お風呂に入らなかったので、ホテルでのシャワーが快適で、朝食のトマトが本当においしく感じました。これからなんでもできると思いましたし、この一番厳しい経験があったので、その他のレースにも積極的に挑戦していくことができました」

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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