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感動的で、面白かった「五輪ゴルフ」 復活当初は懐疑論も…プロで成熟した競技を五輪で実施する意義

同じ日に行われたテニスにもかつてあった懐疑論

 同じ4日、テニス男子ではジョコビッチが涙の優勝を果たした。アルカラスとの激闘を制して4大大会と合わせた「生涯ゴールデンスラム」を達成した37歳は「国のために戦い、金メダルをとれたことは誇り」と話し、表彰台で国歌を聞きながら号泣した。

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 テニスもまた、88年ソウル大会で五輪に復帰した時は「どうなんだろう」と言われたし、出場を辞退する選手もいた。すでにプロの競技として成功し、五輪の力も必要ない。過密日程も問題になった。それでも、女子最強のグラフが優勝して五輪テニスの魅力を発信。選手やファンの五輪に対する考え方も少なからず変わった。

 98年冬季長野大会からのスノーボードも同じだ。統括団体同士のゴタゴタもあって、当初はXゲームなどで活躍する多くのトップ選手が出場を拒否。しかし、人気ボーダーのホワイトが「五輪は商業的にも魅力がある」と出場して活躍。多くのトップ選手が後に続き、それが夏季大会のスケートボード、サーフィンの実施にもつながった。

 ゴルフやテニス、スケートボードやサーフィンなど、五輪が「最高峰」と言い切れない競技は少なくない。個人で争うプロのツアーとは違って国別の出場枠もあるから、必ずしもすべてのトップ選手が集まるわけでもない。「五輪は不要」の声は相変わらずある。

 それでも、世界的な普及を目指す各競技にとっては。五輪の力は大きい。五輪にとっても、人気プロスポーツは集客や視聴率獲得のために重要なコンテンツになる。何よりも選手が五輪に出場して勝つことを目指し、楽しんでいることが大きい。

 プロの世界で成功し、富も名誉も手にしている選手たちが、表彰台の上で見せる国を代表するアスリートとしての涙と笑顔。全世界の人たちに「五輪ゴルフ」の魅力を届けたことは間違いない。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)


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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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