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開会式を見て改めて考えた東京五輪 「新しい五輪」発信譲っても「もし放棄していたら…」揺るがぬ功績

第32回大会があったから第33回のパリ大会がある

 IOCは2014年、五輪の改革案である「アジェンダ2020」を採択した。男女の平等や実施競技の見直しなど40項目を盛り込んだもので、20年東京大会を「新しい五輪」のスタートに位置付けた。ところが、東京ではスタートが切れず。パリが仕切り直しのスタートになった。

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 東京大会は終了後もネガティブなイメージがついた。世界的にも五輪反対運動は収まらない。パリ大会での仕切り直しは、0からではなくマイナスからのスタートといってもいい。だからこそ、IOCも組織委員会も五輪と開催都市パリのポジティブな発信に力を入れる。

 本来なら東京大会が、この先に向けて「新しい五輪」の「手本」になるはずだった。それを思うと本当に残念でならない。それでも、東京大会の果たした役割は大きい。無事に開催したからだ。

 大会前のゴタゴタや、その後の不祥事発覚などで、東京大会組織委員会そのものがネガティブに見られる。ただ、すべてが止まってしまうという想像もできない困難に直面しながら、規模を縮小し、描いていた夢を断念してまで大会開催にこぎつけた。「東京でなければ、できなかった」というIOCバッハ会長の言葉は、本音だろう。

 もし、東京大会が開催を放棄していたら、パリ大会への影響は小さくなかったはず。東京大会の間に不測の事態が起きたとしても同様だ。「新しい五輪」発信はパリに譲ったが、第32回大会があったから第33回のパリ大会があるのは間違いない。これでもかとばかりにパリを詰め込み、アピールする開会式を見ながら、改めて東京大会を開催したことを考えた。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)


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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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