「テセが涙ぐんで喜んだ」 28年前に始まった交流、聖地で生まれた歴代フロンターレ選手の成長物語
1993年5月15日、国立競技場での「ヴェルディ川崎VS横浜マリノス」で幕を開けたJリーグは今年、開幕30周年を迎えた。国内初のプロサッカーリーグとして発足、数々の名勝負やスター選手を生み出しながら成長し、93年に10クラブでスタートしたリーグは、今や3部制となり41都道府県の60クラブが参加するまでになった。この30年で日本サッカーのレベルが向上したのはもちろん、「Jリーグ百年構想」の理念の下に各クラブが地域密着を実現。ホームタウンの住民・行政・企業が三位一体となり、これまでプロスポーツが存在しなかった地域の風景も確実に変えてきた。
連載・地方創生から見た「Jリーグ30周年」第2回、川崎【後編】
1993年5月15日、国立競技場での「ヴェルディ川崎VS横浜マリノス」で幕を開けたJリーグは今年、開幕30周年を迎えた。国内初のプロサッカーリーグとして発足、数々の名勝負やスター選手を生み出しながら成長し、93年に10クラブでスタートしたリーグは、今や3部制となり41都道府県の60クラブが参加するまでになった。この30年で日本サッカーのレベルが向上したのはもちろん、「Jリーグ百年構想」の理念の下に各クラブが地域密着を実現。ホームタウンの住民・行政・企業が三位一体となり、これまでプロスポーツが存在しなかった地域の風景も確実に変えてきた。
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長年にわたって全国津々浦々のクラブを取材してきた写真家でノンフィクションライターの宇都宮徹壱氏が、2023年という節目の年にピッチ内だけに限らない価値を探し求めていく連載、「地方創生から見た『Jリーグ30周年』」。第2回は川崎を訪問し、後編では聖地として知られる店『BIG FOOT』を取材。前身の富士通サッカー部時代から、チームや選手を見続ける店主に話を聞いた。(取材・文=宇都宮 徹壱)
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Jリーグ30年の歴史において、間違いなく「地域密着のお手本」とされているのが、J1の川崎フロンターレ。川崎市内には、クラブにゆかりのある「聖地」スポットがいくつか点在している。今回、取材で訪れたのも、その1つだ。
JR南武線の武蔵中原駅を出て、徒歩6分ほど。商店街と住宅街、両方の雰囲気が混ざりあったような風景の中に、その店『BIG FOOT』があった。取材のアポイントは15時だったが、その前に一般客として、店の雰囲気と味を確認しておこうと思った。
ネットでの店舗紹介は「隠れ家的な雰囲気のイタリアン」。けれども、どちらかというと「近所のカジュアルな洋食屋」といった店構えである。オープンしたのは、昭和末期の1986年。バブル期の「イタ飯ブーム」が起こる、少し前の話だ。
13時30分に店に入り、ナスとベーコンのトマトソーススパゲティを注文する。厨房で料理鍋を振るうのは、今日のインタビュイーの息子だろうか。出てきた料理は、トレンドには左右されない、いい意味での「昭和な味付け」であった。
「開店してから37年間、トマトソースの味を変えていないんですよ。クリームソースにしても、和風の明太子にしてもそう。最近は息子が、少しずつアレンジを加えるようになりましたが」
ランチタイム終了後の15時、再び『BIG FOOT』を訪れると、店主の田邉忠広が柔和な笑顔で出迎えてくれた。ランチタイムのスパゲティの感想を述べると、嬉しそうにうなずきながら、味のこだわりについて語り始める。田邉は1956年生まれで今年67歳。サッカーをやっていた長男、そして次男が最近は厨房に立つことが多くなったという。それにしても『BIG FOOT』という、イタリアンらしからぬネーミングの由来が気になるところ。
「今はビルの中に店がありますが、もともとはカナディアンログハウスの建物だったんです。カナダ、大自然、となれば(未確認動物の)ビッグフット、という連想でなんとなく決まりました。私の足が大きいわけではありません(笑)」
細かいことに頓着せず、時代が変わっても味は変えない。こうしたおおらかさこそが、生き馬の目を抜く飲食業界を生き抜いてきた秘訣なのかもしれない。
頓着しないといえば、この店はフロンターレファンの「聖地」と呼ばれているわりには、クラブに関連したもの(例えばサインの入った写真やユニフォームなど)がまったく飾られていない。実は田邉とフロンターレとの出会いが、前身の富士通サッカー部時代にまで遡ることが、その理由であった。