羽生結弦、荒川静香が“冬の時代”に終止符 仙台フィギュアを守り続ける阿部奈々美の願い
日本におけるフィギュアスケート発祥の地・仙台。数々の名スケーターが誕生したこの地で、20年以上にわたり選手育成に携わってきた人物がいる。コーチ・振付師として活動する阿部奈々美氏だ。羽生結弦のコーチを務め、荒川静香の振付を担当するなど、輝かしい経歴を持つ阿部に、仙台フィギュアスケート界の「今と昔」を語ってもらった。(取材・文=川浪 康太郎)
阿部奈々美コーチ・振付師「仙台とフィギュアスケート」後編、黄金期と冬の時代を経験
日本におけるフィギュアスケート発祥の地・仙台。数々の名スケーターが誕生したこの地で、20年以上にわたり選手育成に携わってきた人物がいる。コーチ・振付師として活動する阿部奈々美氏だ。羽生結弦のコーチを務め、荒川静香の振付を担当するなど、輝かしい経歴を持つ阿部に、仙台フィギュアスケート界の「今と昔」を語ってもらった。(取材・文=川浪 康太郎)
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スケートとの出会いは3歳の頃。宮城県仙台市に生まれ4人兄妹の末っ子だった阿部は、姉らに連れられ「水の森市民センター」内にある屋内アイススケート場(1984年に閉鎖)で初めて氷に乗った。
「スケートリンクは、いつも人で溢れていた」
真っ先に思い浮かぶ当時の印象だ。若者の集団も多かったといい、「全日本選手権を目指すような選手を育成する場というよりは、家族や友達と行ける、身近な冬の娯楽施設という感覚だったのではないか」と回顧する。リンクの数が減った現在と比較すると、スケートがより日常にあった。
小学1年の冬、東北初の通年リンクとして開場した「勝山スケーティングクラブ」(2009年閉鎖)に拠点を移した。勝山のリンクができてからは、選手育成のスピードが加速。強化合宿で訪れたトップ選手によるレッスンや座学の講義が定期的に行われていたほか、世界選手権王者を招いたアイスショーが開催されることもあったという。
中学3年時、高校受験に専念するため競技を離れ、高校入学後もしばらくは、新たに始めた弓道と茶道に勤しんでいた。高校1年の冬、「オレンジワン泉」(現・アイスリンク仙台)が開場したのをきっかけに競技復帰。その時、出会ったコーチが長久保裕氏だった。
長久保のもとには県内外から多くの有望選手が集まった。当時のノービスやジュニアの大会は仙台の選手が上位を独占。荒川静香、本田武史ら五輪代表選手も次々と輩出し、瞬く間に「フィギュア王国」を築き上げた。阿部も東北学院大を卒業し現役生活を終えるまで長久保に師事し、仙台の「黄金時代」を選手として過ごした。
「仙台にあそこまでの熱意を持って指導してくれるコーチはいなかったので、選手には新鮮な感覚があったのだと思う」
長久保が持つ求心力の所以を、阿部はそう考える。