「生きるために稼ぐって感じです」 早大アメフト部出身でNPBを目指す23歳吉村優の今
10月20日に行われるプロ野球ドラフト会議で、異例の10年連続指名がかかる独立リーグ球団がある。四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックス。多くの名門大学、社会人チームを凌ぐ、驚異のNPB輩出率を誇るチームには、今年も多くの原石が揃う。「THE ANSWER」はその中から、注目選手4人をピックアップ。第4回は吉村優投手。早実野球部から早大アメフト部を経て、早大大学院に在籍しながらNPBを目指す異色の23歳の今を追った。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
徳島インディゴソックス NPBドラフト注目選手特集第4回・吉村優投手
10月20日に行われるプロ野球ドラフト会議で、異例の10年連続指名がかかる独立リーグ球団がある。四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックス。多くの名門大学、社会人チームを凌ぐ、驚異のNPB輩出率を誇るチームには、今年も多くの原石が揃う。「THE ANSWER」はその中から、注目選手4人をピックアップ。第4回は吉村優投手。早実野球部から早大アメフト部を経て、早大大学院に在籍しながらNPBを目指す異色の23歳の今を追った。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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取材に訪れた8月のある日、蝉と打球音がこだまする球場。真っ黒に日焼けした顔に、白い歯がこぼれた。
「いやあ、楽しいっすよ。凄く楽しいです」
運命のドラフト会議まで2か月。気負うことなく笑った吉村優は、プロ野球の歴史を変えるかもしれない存在である。
昨年4月に初めて会った筆者は、彼の挑戦を何度か記してきたが、その足跡をもう一度辿る。
初めて握ったボールは白球だった。小2だった2006年夏、斎藤佑樹(元日本ハム)擁する早実が日本一になり「自分も早実で甲子園で優勝したい」と小4から野球を始めた。1年間の受験勉強で早実中(東京)に合格。早実高の2年夏は、背番号16の控え投手で、1年下の清宮幸太郎(現日本ハム)らとともに甲子園4強に入った。
最後の夏は西東京大会8強で敗れたものの、伝統の背番号1をつけた。完全燃焼した高校野球。1度目の転機は、この時。「自分はゴールを高校野球で日本一になることにしていたので」。同級生が早大で野球継続を決める中、新たな道で日本一を目指そうと志した。それが、アメフトだった。
楕円球を握り、司令塔のクォーターバック(QB)としてゼロから競技を始めた。血の滲む努力で3年冬に学生日本一を決める甲子園ボウルに出場。タッチダウンを決め、4年生は副将を務めた。完全燃焼した大学アメフト。2度目の転機は、この時。「もう一度、野球をやってプロを目指そう」。部活を引退した翌日に決めた。
「高校の時に決めていた限界とか、得られていた達成感なんて本当にちっぽけだったと思うくらいの毎日でした。『本気』ってこういうことなんだと学んだので、この4年間の経験を持って野球に戻ったら、自分はもっと上のステージに行けるんじゃないかと思ったんです」
すると、予想だにしない変化があった。練習を始めて1か月で高校時代134キロだった最速は145キロに。接触競技のアメフトで鍛えた178センチの肉体は、69キロから83キロに増えていた。東京のクラブチーム「REVENGE99」に在籍。挑戦1年足らずで150キロの大台に乗せ、プロ野球を目指すに恥じないスペックを手にした。
そして、3度目の転機は今年の1月。徳島インディゴソックスへの入団だ。取材したのは今回が徳島入団後初めて。改めて、この決断の理由を聞いた。
「スカウトの目につくところで投げたいし、レベルの高い相手と毎日練習したり対戦したりできる環境を求めた先が、独立リーグでした。その中でも9年連続プロ野球選手を輩出し、トップに君臨しているのがインディゴソックス。1年間、野球に懸けてみようと思って、徳島に来ました」
とはいえ、待っていた現実は厳しいものだった。