35歳メーカー営業職で日本代表 カヌーポロに懸けた競技人生、50万円超の遠征費は自腹
愛知への転居と高校進学で知ったカヌーポロの魅力
すっかりやる気が萎えてしまった柴田は、周囲から勧められて隣の三好町(現みよし市)にある三好高へ入学した。県立高で唯一のスポーツ科学科があったからだ。バレー部を見学しに行ったものの、期待したほどのレベルではなく、入部しなかった。「もう高校はダラダラ過ごそうかなと思っていた」。そんな時、寮と学校を結ぶ通学路の途中にある保田ケ池(ぼたがいけ)でやっていたのがカヌーポロだった。
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「自分が長野で知っているカヌーじゃない、好きな球技も合わさっているのか、と気になった。しかも、入学した2004年がちょうど世界選手権だった」
三好町は、その10年ほど前に開かれた愛知国体でカヌー会場となったのを機に普及や活動に力を入れ、カヌーポロの常設コート4面を整備した保田ケ池に世界選手権を誘致していた。柴田は高校にあったカヌーポロ部に入り、世界選手権で大会ボランティアをした。
「まともにプレーができないレベルだったけど、世界の最上級のプレーを間近で見ることができて、それが衝撃で、これを極めるのもありだと思った」
高2の終わりの選考会で史上最年少の日本代表に選ばれた。21歳以下代表を飛び越えてのフル代表。高校卒業後、岡崎市内の学童保育で働き、25歳で今の会社へ変わり、ずっと代表入りを続けてきた。隔年で秋に開催される世界選手権とアジア選手権が大きな目標だが、3人の子どもが生まれた年は代表入りしても遠征は辞退した。
「奥さんのことを考えると、自分のやりたいことばっかり優先していちゃダメだろうと思って」
2013年から3シーズンは日本代表の主将を務め、2015年のアジア選手権初優勝に貢献した。
柴田は今、チャレンジを始めている。岡崎市の自宅に近い乙川(おとがわ)を新しいカヌーの活動拠点にできないかと考えている。自宅から車で1時間弱の保田ケ池が拠点のクラブチームに所属しているが、自主練を1人でしている川だ。
「川幅や水深も練習にいい条件が揃っている。流れが緩く、護岸が整備されて、初心者も始めやすい。それに何よりも、アクセスがいい」