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「やらなければ」から積み重なった自信 パラアーチェリー選手が切り拓いた道

1分先、1秒先の未来に何が起こるか、予測できる人は誰もいない。2005年4月25日、パラアーチェリー岡崎愛子選手の運命は大きく変わった。

事故の経験から得た、岡崎愛子選手の考え方の変化とは【写真提供:ESNINE】
事故の経験から得た、岡崎愛子選手の考え方の変化とは【写真提供:ESNINE】

電車事故で車いすユーザーになった岡崎愛子 「さぁどう生活していこう」

 1分先、1秒先の未来に何が起こるか、予測できる人は誰もいない。2005年4月25日、パラアーチェリー岡崎愛子選手の運命は大きく変わった。

【特集】創意工夫が生んだ大飛躍 一矢に込めるパラスポーツ普及への想い / パラアーチェリー・岡崎愛子選手インタビュー(GROWINGへ)

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 同志社大学2年生だった当時、大阪にある自宅から通学するため乗り込んだ電車が脱線事故を起こした。多くの死傷者を出したJR福知山線脱線事故。線路脇のマンションに激突した先頭車両に乗っていた。首から下が麻痺する頸髄損傷という大怪我を負い、入院生活は377日にも及んだ。

 慣れない車いすを使うことになり、生活は一変。退院後、どうして自分が事故に巻き込まれたのか、不運を嘆き続けることもできたが、岡崎は違った。「あれもできない」「これもできない」とネガティブ思考に陥るのではなく、視線を少し先の未来へ向けて「あれもできる」「これもできる」と前を向いた。

 一体何がモチベーションとなったのか。

「事故に遭って車いすユーザーになった時、『さぁどう生活していこう』と考えました。親はいつまでもいるわけではないので、頼り切りになることはできない。自分でお金を稼いで、どうにか自立していかなければならないと思いました。『できる』『できない』というレベルの話ではなく、『どうにかしてやらなければいけない』という、その思いだけですね」

 心に沸いた強い思い。必要に迫られて沸いたものかもしれないが、この思いは後に数限りない可能性を生み出す源となった。

「『どうにかしてやらなければいけない』という思いがあったからこそ大学にも復学したし、スタートを切ることができました。復学もできたし、卒業もできたし、就職もできたし、一人暮らしもできた。やらなければ、と思っていたことを、上手いことクリアできていったんですね。その一つ一つが自信になり、積み重なっていきました」

 自信が芽生えてくると、取り組み方にも変化が生まれてきたという。

「自信が積み重なると、いろいろな工夫も重ねるようになりました。これを繰り返すうちに、自分が持つ可能性が広がり、できることが増えるんじゃないか。そう徐々に思えるようになったんです」

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