故障者が多く、練習もバラバラ…名門・早大を立て直した「花田式」 影響を受けた指導者「衝撃的だったのは…」
花田監督が影響を受けた指導者「衝撃的だったのは…」
監督の指導は、自らの経験が軸になるが、それに加えて、恩師や陸上の指導者、異業種の監督の指導論、また書物やネットから必要な情報を取捨選択して、自分の指導に取り込んでいくことで醸成されていく。花田監督はオリンピアンの薫陶を受けたという。
――監督になられる際、影響を受けた指導者はいらっしゃいますか。
「やはり恩師の瀬古(利彦)さんですね。高校時代は、指導者がいない環境だったので、大学に入ってゼロからいろんなことを教わりました。衝撃的だったのは、大学に入って最初に教わったのが歩き方だったんです。ちゃんと歩けない選手は速く走れないと言われて、入学前に呼ばれて参加したエスビー食品の合宿では、最初の1週間、毎朝、瀬古さんと一緒に合宿地の西表島で日の出前から1時間近く歩きました。そうした基礎的なトレーニングから、実践的なマラソン練習のノウハウ、また競技に対する考え方や取り組み姿勢も学生時代からヱスビー食品に進んで実業団選手と続けている間にすべて教えてもらいました」
――瀬古さんの練習は、ハードでタフだったと聞いています。
「マラソン練習で60km走をやったこともありました(笑)。でも、スピード練習もかなりやっていたんです。走り込みとスピードのバランスが難しくて、自分もうまくそれを消化できないことが多かったですね。そういう時は、自分でアレンジしてやってみたり、ときには瀬古さんと言い合いになったりもありました。私は怪我も多かったので、とにかく瀬古さんにとっては手がかかる選手だったと思います。そういう意味では、今、私が選手を指導する上で、自分よりも手がかかる選手にはまだ出会っていないので、反面教師ではないですが、自分の経験から学んで伝えられることはまだたくさんあるように感じています」
――瀬古さん以外の指導者や本などから影響を受けたことはありますか。
「上武大監督時代に、青学大、駒澤大、早稲田大とか、規模が大きく強い大学に対して正攻法でぶつかっても勝てないじゃないですか。その時、どう戦うべきか、いろいろ考えていたのですが、ある人に『鵯越え(ひよどりごえ)』の話を聞いたのです。源義経が一の谷の戦いで見せた奇襲戦法です。実力差がある場合、正攻法でぶつかってもなかなか勝てないので、作戦を考えて戦うことも大事だよっていうのを知り合いの人に言われて。上武大の時は、他大学がやらないような奇襲作戦を考え、実践していました」
(第2回へ続く)
■花田 勝彦 / Katsuhiko Hanada
1971年6月12日、京都市生まれ。彦根東高(滋賀)を経て、早大で第69回(1993年)箱根駅伝4区区間賞を獲得し、同大会の総合優勝に貢献。エスビー食品に進み、1994年日本選手権5000m優勝。1997年アテネ世界陸上マラソン代表、1996年アトランタ五輪1万m代表、2000年アテネ五輪5000m、1万m代表など国際舞台でも活躍した。2004年に引退後は指導者に転身し、同年に誕生した上武大駅伝部で監督就任。2008年に箱根駅伝初出場に導くと、退任まで8年連続本戦出場を果たした。2016年にGMOインターネットグループ監督に就任し、駅伝参入初年度の2020年ニューイヤー駅伝で5位入賞。2022年6月に早大駅伝監督に就任し、今季が3シーズン目。2024年11月に著書「学んで伝える ランナーとして指導者として僕が大切にしてきたメソッド」(徳間書店)を上梓。
(佐藤 俊 / Shun Sato)