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「サッカーは上手くなきゃダメ」 “ヴェルディ流”貫く育成指導者、日本代表MFとの絆

現在はなでしこリーグ2部のちふれASエルフェン埼玉で指揮を執る菅澤氏【写真:加部究】
現在はなでしこリーグ2部のちふれASエルフェン埼玉で指揮を執る菅澤氏【写真:加部究】

菅澤の退団に小林祐希が号泣 「あれは本当にきつかった」

 しかし反面、小林を決断させたのは、菅澤の率直に現実を突きつけた言葉だった。「必ずプロにする」と未来を確約したFC東京に対し、菅澤は「ダメだと判断すれば別の道を勧める」と告げた。すでに菅澤は忘れていたが、大笑いをしながら振り返った。

「祐希のように志の高い子には、その言葉が引っかかったのかもしれませんね。この世界は失敗がつきもの。そこは言っておくほうがフェア。なかなか不器用で上手く嘘がつけないんですよ。でもそれで来なかったら、やっぱり悔しいかな」

 結局、小林に象徴される1992年生まれの“プラチナ世代”は、小野裕二(ガンバ大阪)を除き、欲しい選手はすべて獲得できたという。また昨年は菅澤の下でプレーするために、なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)1部のチームから、2部のちふれASエルフェン埼玉に8人もの選手が移籍してきた。

「トレーニングに来てくれれば、そこに今までと違った価値観があることを理解してもらえると思います。もちろん、本人に気持ちはぶつけます。君のこのプレーが素晴らしくて、もう少しここをこうすればこうなる、と。でもそれをトレーニングで具現化できる人は少ない。そこには自信があります」

 ただし菅澤は、小林が中学2年生に進級する2006年にヴェルディを出て行く。

「ユースの体制が変わり、スタイルが一新された。その方針に自分は馴染むことは到底できなかったので、自らヴェルディを去りました。我慢すれば良かったのかもしれないけれど、どうしても自分を曲げて指導することはできなかった」

 小林が号泣するのを見て、さすがに胸が痛んだ。

「あれは本当にきつかった。(面倒を)見ると言っていたのに出て行ったわけだから。でもあれだけ良い選手なので、誰がどうやっても成功するだろうと……」

 この時、小林から受け取った手紙は、今でも菅澤の机の中にある。(文中敬称略)

[プロフィール]
菅澤大我(すがさわ・たいが)

1974年6月30日生まれ。96年に自身が選手として所属した読売クラブ(現・東京V)ユースのコーチとなり、元日本代表FW森本貴幸、日本代表MF小林祐希ら多くの逸材を発掘し育てた。2005年限りで退団すると、その後は名古屋、京都、千葉、熊本とJクラブの下部組織コーチを歴任。18年になでしこリーグ2部のちふれASエルフェン埼玉の監督になると、昨季の皇后杯ではクラブ史上初のベスト4進出に導いた。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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