タブーだった女性アスリートと恋愛 マラソン下門美春が「私の恋愛」を公にした真剣な理由
「走る」しか知らない人生の危うさ「いずれ社会に出た後にリスクがある」
下門さんが感じているのは、男性指導者の評価と厳格な行動管理だ。
高校卒業後に入社した実業団。大学、実業団などの選手が多く参加する記録会の会場で、久しぶりに会った高校時代の先輩の男子選手に声をかけられた。少し会話をしただけで、直後に「今のは誰だ?」と男性コーチの目が光り、驚いたことがある。
「女子の陸上長距離は、男子スタッフの管理下に置かれるのが一つの特徴。例えば、男子なら合宿最終日にお酒を飲むことも普通ですが、女子にはなく、食事も決まった時間、量で食べることが当たり前です。評価をするのはスタッフなので、選手はどう見られているかは気になります。結果として、競技以外に恋愛もしづらい雰囲気に感じますし、恋人ができても自然と隠したり、言わなかったりする。知られないに越したことはないと」
実業団は多くの選手が寮生活、厳しい管理下で過ごす。例えば、プロ野球なら一定の成績を残し、高卒5年目、大卒1年目で退寮可能というルールもあるが、下門さんが経験したところでは原則、高卒1年目も10年目の選手も同じ扱い。実際、下門さんも28歳でプロになるまで寮生活だった。
「門限は9時30分。実業団は都心まで電車で1時間ほどの環境が多いので、出かけても8時には帰らないと間に合いません。友達との食事もだいたい7時開始。せめて大卒1年目を終えたら、もう少し自由になったら……と感じていました。また、厳しい管理の流れは高校からあります。強豪校になると寮に入り、髪形はみんな一緒。一目でどの高校と分かるくらい線の細いフォルムが同じです。
食事も全員一緒でスタッフに常に見られる環境。実業団時代に驚いたのは、手紙の出し方が分からない、洗濯物を平台に置いて乾かす後輩がいたこと。過度に生活の自由が制限され、一般常識も身に付かないのではないかと。許されるのは寮と学校の行き来だけ。寮の食事では足りないけど、外出は行き先を書かないといけないので寮の塀を登り、コンビニに抜け出していたと聞きます」
選手を規則で管理することが悪ということではない。競技に集中しやすい環境が作られ、強くなれる選手がいるのも事実。選手もそれくらいの方針を理解し、加入する。ただ、個人の意識、年齢、実績などによって選択肢があってほしいというのが、下門さんの考えだ。
「恋愛についても、特に高卒の選手は免疫がないと感じることがあります。陸上だけでは分からない経験って、必ずあるので。感情のアップダウン、許せること、許せないことも人と付き合っていたら起こるもの。そういう経験で人として豊かにもなるし、結果的に競技にも生きる。でも、女子十数人とスタッフ数人の同じメンバーの生活で人間関係を構築してしまうと、いずれ社会に出た後にリスクがあると感じています」
「走る」しか知らない人生の危うさ。それを感じるから、競技を最優先にした上で、後輩には「もし恋愛ができる環境ならどんどんした方がいい、経験が積めるよって思うから」と言い、参考例として自分の経験を発信している。
今回、「女性アスリートと恋愛」というテーマで取材をお願いしたところ、「すごく話したいと思っていたことだったんです」と快諾。「私自身は彼氏と呼べる人はもう8、9年いません……。これ、書いてもらって大丈夫です!」とおどけて笑う。
「その間、付き合うのか付き合わないのかくらいの距離感の方は何人かいましたよ。一般の会社員の方、別競技のアスリートの方……。ただ、好きになる人になかなか好きになってもらえなくて(笑)。陸上に集中したい時は『恋愛はどうでもいいや』となり、うまくいかない時もあります。反対に『この一本を頑張ったら会いに行ける』と乗り切れることもありますし、周りには『恋愛している時の方が生理が来るんです』という子もいました」
女性アスリートと恋愛の実情を明かした下門さん。「だから、恋愛がすべてマイナスになることはないんじゃないか」と付け加え、後輩たちがより人間らしく、健やかに、競技に向き合える環境になることを願った。