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16年前の代表監督が残した“遺言”は活かされたのか 今、抱える日本ラグビーの問題点

第4回は、2003年オーストラリア大会で日本代表を率いた向井昭吾元監督が登場。国内では東芝府中(現東芝)監督として日本選手権3連覇を果たし、コカ・コーラウエストジャパン(現コカ・コーラ)監督としては、チームをトップリーグ(TL)昇格に導いた。8シーズンぶりにコカ・コーラ監督に復帰した理由、そしてこだわり続ける日本代表、日本ラグビーのあるべき姿を訴える。

2003年のラグビーW杯で日本代表を率いた向井省吾氏【写真:Getty Images】
2003年のラグビーW杯で日本代表を率いた向井省吾氏【写真:Getty Images】

ラグビーW杯開幕まで79日、連載「楕円の軌跡―レジェンド・トーク2019」第4回は2003年W杯で日本代表を率いた向井昭吾氏

 ワールドカップ日本大会は9月20日に開幕する。サンケイスポーツで20年以上にわたり楕円球を追い続けたラグビー・ライター吉田宏氏が、日本ラグビーを牽引し続けてきたレジェンドたちの、日本代表、ワールドカップ成功への熱い思い、提言を綴る毎週水曜日の連載「楕円の軌跡―レジェンド・トーク2019」。


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 第4回は、2003年オーストラリア大会で日本代表を率いた向井昭吾元監督が登場。国内では東芝府中(現東芝)監督として日本選手権3連覇を果たし、コカ・コーラウエストジャパン(現コカ・コーラ)監督としては、チームをトップリーグ(TL)昇格に導いた。8シーズンぶりにコカ・コーラ監督に復帰した理由、そしてこだわり続ける日本代表、日本ラグビーのあるべき姿を訴える。

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 いぶし銀の指揮官がグラウンドに戻ってきた。向井昭吾57歳。監督復帰は2011年度以来(14年度にGM退任)、チーム復帰は5シーズンぶりになる。一度退任した指導者の現場復帰は珍しくないが、企業の執行役員からのカムバックは異例のことだ。

「TLから落ちちゃって、会社内でも『やってくれ』と言われていた。年齢も年齢なんで、考える部分もあった。でも、東芝から転職してきて、恩がある方や思い入れのある人たちが亡くなってしまったタイミング。なんだか『頼むよ』と言われている気がして、とりあえず(TLに)上げるまでは頑張ろうという気持ちになりました」

 東芝(府中)で日本ラグビー界の頂点に立ち、ワールドカップには故平尾誠二氏に続く2人目の選手、監督として出場。そして新興チーム、コカ・コーラの強化で功労者となった。すでに栄誉は十分に得ているにも関わらず、名将が現場復帰を果たしたのは“恩”のためだけではない。

 こだわるラグビー、そして生き方を一言で表現すれば「アグレッシブ」だ。最強を誇った東芝府中時代のキーワードは「PからGO」。P=ペナルティからタッチキックやペナルティーキックを狙わず、速攻を仕掛ける超攻撃的なスタイルで黄金時代を築いた。日本代表監督に就任して掲げたスローガンは「スピード・アタック」。東芝での“安泰”を投げ捨てて九州の新興チームへ転職。57歳の指揮官は、挑戦し続ける姿勢をいまも貫く。

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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