異国で重ねたプロ20年…陽岱鋼が後輩に伝える日本の伝統「悪いことではない」 苦しんだ投手への“再適応”

高校生で来日…最初は驚いた日本文化も今では「当たり前」
「そこに対応するのはちょっと時間かかりましたし、帰ってきてからもまた時間がかかったんです。日本のピッチャーには独特のフォーム、言ってみれば「間(ま)」があるんですよ。その間にすごく苦労したんです。日本ではしっかり間を作って打っていたけど、それじゃアメリカの投手の小さな変化に対応できない。それで日本に帰ってきたら、今度はまた日本に合わせないといけない。やっぱり難しい。元に戻すことだけでもね」
オイシックスでのプレーも2年目を迎える。このオフはほぼ新潟で過ごし、キャンプにも初日から参加。きっちり準備してシーズンに向かえるのは昨季との大きな違いだ。
「今年のキャンプも、しっかり自分のタイミングの取り方を思い出して、間をしっかり作ろうと思ってやっています。大きく飛ばすっていうより、自分の間をしっかりとって、コンパクトにバットを出すという感じ。自分の体も、今の若い子と全然違うので」
日本で築いた自分の形を思い出しながら、プロ20年目のシーズンを戦う。日本での時間が長くなればなるほど、最初は驚いた文化を自分のものにしているのに気づく。さらに今では、後輩に日本流を伝える側にまでなっている。具体的にはどんなものがあるのか。
「あいさつですよ。目を見てあいさつする。当たり前じゃないですか。先輩にサングラスかけてするのは違いますよね。帽子も取らなきゃいけない」
野球界では、日本社会が重ねてきた上下関係を守る文化が今も色濃く、その理不尽な側面がクローズアップされることもある。ただ台湾からやってきた陽は、自分の足でこの世界を歩きながら、その良さや効果を感じ取ってきた。